2006年09月06日

高校入試の用語

基本用語
(1)前期・後期募集
平成17年度入試から埼玉県公立高校は、これまでの推薦・一般の入試区分を改め、中学校長の推薦状が無くても受験できる「前期募集」、あわせて一般入試を「後期募集」と変更した。

前期募集は、自己PR書の提出により出願が認められる。入試選抜は、調査書と面接のほかに、学校ごとに「総合問題」「作文(小論文)」や実技系の学科の「適性検査」、外国語系学科の「英語による問答」などが採用されている。

後期募集は、これまでの一般入試と同様で、5教科の学力検査と調査書が選抜資料となる。埼玉では,相関表方式という独自の選抜方法をとるが、調査書の各教科の評定と学力検査のウェィトが3:7〜7:3の範囲で学校・学科ごとに定めることになっている。

(2) 地域選抜
前期募集の中での公募推薦制度。あらかじめ指定された中学校の在籍者に対して、希望者を公募し別枠で選考する制度。選に漏れた場合前期募集に繰り入れられ、改めて選抜対象となる。市立高校受験には有利と見られる。

(3)内申点
入試の際、中学から受験高校に提出される「調査書」の各項目の内「学習の記録欄」に記入される評定のこと。平成16年度入試から、各学年の評定が記載されるようになり、公立高校入試では、各学年の使用の比重が(1:1:2のように)発表されている。(1:1:2の場合、1年次評定合計×1+2年次評定×1+3年次評定合計×2での評価)私立高校には、独自の調査書様式を持つ高校があるが、多くの高校では公立高校提出用の写しが提出されることが多い。

(4)通学区
 埼玉県では、平成15年度までは、公立高校の普通科で、通学している中学校によって受験できる通学区が決められ、受験できる高校が制限されていた。平成16年度入試からこの制度が廃止され自由に受験できるように変更された。

(5)入試年度
 今年の新中学3年生は平成17年度生だが、入試は平成18年度高校入学生のためのものということから、平成18年春の入試年度は「平成18年度入試」となる

(6)公立高校入試
都立高校入試では、入学手続き期間が設けられ、入学辞退が可能となっているが、埼玉・千葉では入学手続き自体が実施されていない。このため原則として合格したら入学するものとみなされる。また,県毎に入試日程が異なるが、公立高校の受験は入試制度ごとに1校と定められている。

(7)私立高校入試
平成16年度までは首都圏では、推薦・一般の入試区分があり、1月22日解禁の入試を「推薦」、2月入試を「一般」といっていたが、平成17年度入試から、埼玉県私学が前期・後期制に移行した。前期は1月22日から2月9日まで、それ以降を後期と定義している。

推薦入試・一般入試(前期・後期)とも単願・併願の独自の制度を持つ高校が多い。 単願とは、第一希望の受験生を指すことが多く、単願受験生を優遇する高校も多い。併願とは、公立または他の私学を第一志望とする受験を指す。併願を前提とする受験生に、公立や他の私学の合格発表後まで、入学手続き(入学金の納入)を待つことも多く、このことを延納と言う。

(8)推薦・一般(単願・併願)基準
 私立高校の推薦・一般(単願・併願)には制度のある場合が多く、内申や欠席などの出願資格や合格基準を公表する高校が多い。各校の内容が違うため、学校説明会や入試説明会に参加し調べる必要がある。

特別な用語
(1)入試相談・個別相談会
平成5年までは全国で事前相談という名称のもと、12月上旬に中学校の教員が私立高校へ出向き、募集担当者と、具体的に生徒氏名,内申,偏差値を提出の上、単願,併願の出願についての相談を行っていた。多くの場合、私立高校から中学校に基準が提示され、基準に添う生徒はほぼ内定になっていたことから「単願確約,併願確約」という名称が使われていた。

埼玉県では、平成9年までは事前相談を「入試相談」と呼称を変更し継続していたが、平成9年度は併願,平成10年度に推薦の入試相談を「解消」している。埼玉県私立中学高等学校協会は,平成9年6月の申し合わせで「受験生及びその父母等からの進路打ち合わせ」という表記を使用し,公式に進路打ち合わせをオープン化している。現在入試相談を行っていないのは首都圏(東京・神奈川・千葉・埼玉)で埼玉県だけであり、東京・千葉では平成16年度も12月15日から前述の相談会が各私立高校で実施される。但し、同制度を持たない学校があることに注意。また、東京や千葉の私立高校も、個別相談を実施するケースが増加している。具体的な合格の可能性など教えてくれる学校や優遇をしてくれる学校も多い。

参加者希望者は10月ごろから始まる学校説明会に参加すれば,各校の目安や個別相談の参加の仕方などの具体的な内容の説明がある。電話やはがきによる申し込み制をとる学校もあるので注意。参加者には学校のオリジナルカードを配布する学校が増加している。出願時に願書にオリジナルカードを添付させたり、カード番号を書き入れる学校もある。

(2)自己推薦
推薦を中学校長の推薦に限定せず、入試の当事者である本人、もしくは保護者に推薦権を与える方式。高校の推薦基準に足りない生徒に受験機会を与える主旨から実施する高校が多い。埼玉では、平成17年度に前期・後期方式に移行したが、推薦制度を継続する学校は多く、東京や近県の私立高校では、推薦・一般の入試区分は存続している。

(3)B推薦
推薦入試の中で、併願を認める方式。平成9年度の中学校長会のQ&Aに「S高校の,いわゆるB推薦については…」という一文があり、「B推薦」という言葉が定着した。すでに埼玉県内の私立高校47校中、39校に導入され、この入試を利用する受験生は多い。東京・千葉私立高校でも、埼玉・千葉の生徒対象のB推薦を実施する学校が急速に増加している。17年度入試から、埼玉では前期入試に単願・併願の区分をする高校が増えたが、前期併願入試と同意語となる。東京では、埼玉の生徒に限定したB推薦を実施する高校が増加している。

(4)アラカルト入試
文部科学省が全国の公私立高校に「入試の多様化・選抜尺度の多元化」を要請したことを受けて、「入試の複数日程化」,「教科選択」,「傾斜配点」などの新しい入試制度が、急速に取り入れられている。

(5)延納、延納手続き金
 私立高校では公立高校第一志望の生徒のために、公立高校の合格発表日まで入学手続きを延期できる制度を持つ学校が多い。この制度を「延納」という。B推薦の定着と共に、入学金の一部を延納手続き時に納める制度を持つ高校が増加している。入学すれば、入学金に充当されるが,入学辞退の際には掛け捨てとなる。学校によって5,000円から、30,000円程度まであるので注意が必要。千葉県では50,000円の学校が多い。
posted by 塾長 at 16:02 | 日記

和田秀樹

和田 秀樹(わだ ひでき、1960年6月7日 - )は、大阪府出身の受験アドバイザー、評論家(教育・医療)、精神科医(川崎幸病院精神科顧問)、国際医療福祉大学教授。

一橋大学経済学部(医療経済学)、東北大学医学部、上智大学心理学科などの非常勤講師や、東進ハイスクール顧問も歴任。ヒデキ・ワダ・インスティテュート、緑鐵受験指導ゼミナール代表。

受験アドバイザーとして
灘中学校・高等学校を経て、東京大学理科三類、慶應義塾大学医学部・経済学部に現役合格、在学中は家庭教師、アイドルプロデュース研究会、ライター業、塾経営などに励む。東京大学医学部医学科卒。東北大学医学部で博士号(医学)取得したが、この点については経歴では省かれることが多い。何故氏が博士号を取得していながら、東北大学大学院医学部博士課程修了と学歴を正式に書かずに、東大医学部卒業、と著書のプロフィールに書くのかについては「あたかも東大で博士号をとったかのようにみせかけるためだ」「東大ブランドで売っている人間が東北大で博士号取得では見栄えがよくないことを恐れているからだ」との批判がある。

私立トップ進学校である灘中学校に5番で入学したものの、入学後は勉強しなかったため灘では落ちこぼれてしまった。灘在学中に解法暗記を中心とした勉強法を開発した。大学は東大理三、慶大医学部への現役合格を果たす。また、自分の弟に勉強法を教え、東京大学文科I類現役合格に導いた。その後、和田の弟である和田雅樹は大阪星光学院中学校・高等学校を経て、東京大学法学部から現役で、かつ優秀な成績で司法試験に合格し、現在は最高検察庁検事を務めている。

大学在学中から、家庭教師、アイドルプロデュース研究会でのイベント企画、雑誌のライター、名門進学塾経営など、多彩な活躍をしていた。

自らの受験体験と家庭教師などの経験を生かし「試験に強い子が引きつる本」でデビュー。「中学、高校と灘では落ちこぼれだった自分が理三に現役合格した方法」として、「誰でも難関大学に受かる受験法」を宣伝文句に、受験アドバイザーとして受験界に確固たる地位を築く。「和田秀樹→福井一成→荒川英輔」という流れは受験界における主流である。

和田式勉強法は灘高校における勉強法、和田秀樹自身が開発した勉強法などに加え、最近取り入れた認知心理学に基づく勉強法で成り立っている。もっとも和田にとって認知心理学はまったくの専門外であり(精神分析学と心理学はまったく異なった分野である)、その主張には誤解や誤りが多いといわれている。ただ、彼は受験指導塾を経営し、他の受験アドバイザーに比べて実績はずば抜けて高い。また、数ある受験ハウツー本のなかで和田氏の作品が一番売れており、大手書店では和田氏のコーナーを設けるところもある。和田氏の受験テクニックは近年受験生の間で人気を誇る漫画『ドラゴン桜』と共通点が多い。 

現在ベネッセの通信教育である、進研ゼミ高校講座の情報誌「My Vision」に「カイカン勉強スタジオ」という連載記事を書いているが、これはベネッセがライバルのZ会が宣伝のために『ドラゴン桜』とのコラボレーションをしていることに対抗するためであると思われる。また、和田氏本人もZ会のことを著書などで批判している(ただし、高校時代には入会していたらしい)。

精神科医・評論家として
精神科医としての専門は老年精神医学、精神分析学、集団精神療法学である。カールメニンガー精神医学校の国際フェローであったが、国際フェローは授業料を支払えば受講できるといったものであり、学位ではない。また和田には精神分析学で学術的論文はなく、学問的業績はない。

最近は教育・医療などに関する評論も行い、テレビなどでも活躍している。教育問題ではゆとり教育反対、暗記賛成派の論客として論壇で存在感を示しており、市川伸一東京大学教育学部教授との共著もあるほどである。文部科学省への批判は多いが、日本教職員組合、全日本教職員組合など教員の労働組合への言及は一切していない。また、著書「わが子を東大に導く勉強法」(PHP研究所)では、東大紛争と新左翼の活動家を支持する発言をしており、「受験本番に強くなる本」では、受験生に朝日新聞を読むことを勧め、男子の受験生が性行為を我慢することと、太平洋戦争(大東亜戦争)時の日本軍が掲げたスローガン<欲しがりません勝つまでは>とを同様に扱っている。(実際このスローガンは東京の女子小学生が考案したものであり、作家の山中恒氏がその事実を発掘した。)彼の思想は、彼が在籍したリベラルな校風である灘高校の影響を受けているとされる。しかし、これらの話は初期の著書でのことで、最近は下記にあるように右派の論客である。自身のホームページで、埼玉県立所沢高校の生徒達の左傾化について批判している。しかし、自身のブログにあるように終戦以前の軍部の政治を否定しているが、同時に日本共産党へも、ブログのですます調(しんぶん赤旗がそうである。)をやめるという表現で皮肉っている。その他にも様々な分野で権威にとらわれない評論活動を展開しており、週刊誌に書いた医学界への批判記事が原因で、東北大学医学部非常勤講師を事実上解雇されたこともある。

評論家の勝谷誠彦と灘で同期。元理研研究員でオホーツク海病院院長の岡本卓は東京大学医学部の同期であった。

最近では月刊誌『正論」や産経新聞で文章を書くことが増えた。朝日新聞でも記事に対するコメントをよく掲載している。
タグ:和田秀樹
posted by 塾長 at 15:53 | 日記

自閉症

自閉症(じへいしょう、Autism)は社会性や他者とのコミュニケーション能力の発達が遅滞する発達障害の一種である。高機能自閉症と低機能自閉症があり、ただ単に「自閉症」という場合は、後述する低機能自閉症の事のみをさす場合もある。

現在では先天性の脳機能障害によるとされており、多くの遺伝的因子が関与すると考えられている。日本では1000人に1〜2人の割合で生じているが、どこまでを自閉症の範囲とするかによって発生率は大きく違う。また男性に多い。

日本自閉症協会によると現在全国に推定36万人。知的障害や言語障害を伴わない高機能自閉症(アスペルガー障害とも言う)など含めると120万人といわれている。

「自閉症」の語感から、ひきこもりに至るような精神状態やうつ病の事を含んでいるように思われる事もあるが、これは自閉症に対する誤った認識である。日本大学文理学部体育学科の教授である森昭雄が2004年〜2005年前後にかけ、講演や自著の中で「テレビやテレビゲーム等が原因で後天的自閉症になる」と持論を展開していたように、近年でも大学教授でさえ誤った認識を持っていた例がある。

研究初期は自閉症といえばほとんど言葉を話さないようなタイプをさしていたため、統合失調症の状態を表す「自閉」という用語を当てて「自閉症」と訳されていたが、徐々に自閉症の概念が拡大するにつれて、自閉症という訳語が不適切になってきたといわれる。特に高機能自閉症の場合は、一般的に恥ずかしいと思って秘密にするような事でも正直に話してしまうなど、むしろイメージ的には自閉とは逆の「自開」であるという人もいる。

DSMの診断基準によると、自閉症の主な症状は3つに分けられる。

限定された興味やこだわり、関心。(同一性保持への欲求、常同行動)
対人関係でのコミュニケーション能力の欠如。
言葉の発達の遅れ。
一般的な低機能自閉症児の特徴の例として、以下があげられる。 

おもちゃ・本物の自動車の車輪や床屋の回転塔などの回転するものへの強い興味。
数字や風景などに対する高い記憶能力。
ある特定の音に対する強い不快感、物を規則正しく並べる行動。
何かして欲しい事があった場合に、近くの人の手を引っ張って対象物の所まで連れていく「クレーン現象」という行動。
又、心の理論の障害により、他人のする事を自分の立場に置き換えられずにそのまま真似するため、手のひらを自分側に向けてバイバイしたり、自分の事を「あなた」などの二人称で、相手の事を「わたし」などの一人称で呼んだりするなどの現象が見られる。

自閉症児者は、耳で聞く事よりも眼で見る事の方が認識しやすいという視覚優位の特性がある。このため、自閉症児に注意を与える時は紙などに書いて見せると効果があるとされる。

ある職場に勤めている自閉症者が噛み付くなどたびたび問題を起こし、口頭で何回も注意を与えても改善しないため、危うく解雇されるところであった。しかし、詳しい人のアドバイスにより机の前に注意書きを置いたところ、問題行動はぴたりと収まった。
「サリーとアン課題」と呼ばれる、他人の心の動き(心の理論)を推測する能力を問う試験がある。この試験では以下のような場面を想定している。

「あなたは友達と同じ部屋でおもちゃで遊んでいました。すると途中で友達がおもちゃをおもちゃ箱に入れてから部屋を出ていきました。友達がいない間に、あなたが友達のおもちゃをおもちゃ箱から取り出して、タンスの中に隠しました。さて、友達が戻ってきて、おもちゃで遊ぼうとするのですが、友達が最初におもちゃを出そうとして探す場所は、おもちゃ箱でしょうか、それともタンスの中でしょうか?」
という質問をする。おもちゃを隠された友達は、隠された事をまだ知っていないので、最初に探す場所はおもちゃ箱の方のはずである。健常児や自閉傾向のない知的障害児であれば3〜5歳くらいで正解出来るようになるが、自閉症児の場合は他人の心の動きを推し量る「心の理論」が障害されているため、かなり高年齢にならないと正解出来ない。

又、一部の自閉症児者では、カレンダーも見ずに特定の日の曜日を答えたりする、いわゆるサヴァン症候群と呼ばれる能力がある場合もある。

他の例として時間の「概念」が希薄な場合もある。時計で時間が分かるような自閉症児者のなかには、時間に強迫的になり全ての事柄がまさにその定められていた瞬間に起こる事を要求する例がみられる事がある。 例えば、「5分待っていて」と約束したくせに6分14秒も待たせたと被害感を持つ、などである。逆に4分30秒で戻れば、まだ5分経っていないので待ち続けるといった場合もある。このような症状をある場合でも、施設を利用出来るようにとウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートでは、提示する事により待ち時間を0にするホワイトカードと呼ばれるサービスを行う等、比較的認知された症例である。 ちなみに東京ディズニーリゾートでも同様のサービスを行っていたが、2002年5月20日をもって事前説明なく打ち切るなど、国内では一般的にこれらの症状の認知は低い。

高機能自閉症の場合は知能には問題はないが、やはり「心の理論」の障害のため、会話の雰囲気を理解出来ないなど、対人関係に問題を生じやすい。だが、日本では(一部の自治体を除いて)公的な支援はない。

なお、自閉症の症状は人によってかなり違い、上記の特徴は必ずしも当てはまらない場合もある。

自閉症の分類
自閉症は症例が多彩であり、健常者から重度自閉症者までの間にははっきりとした壁はなく、虹のように境界が曖昧であるため、その多様性・連続性を表した概念図を自閉症スペクトラムや自閉症連続体などと呼ぶ。

なお、「高機能自閉症」と「アスペルガー症候群」、「低機能自閉症」と「カナー症候群」は基本的には同じものであり、臨床的には区別しなくてもよいとされている(言語障害がないものをアスペルガー症候群、言語障害があるものをカナー症候群と分類する場合もある)。本記事では同一の物として扱う。

低機能自閉症
自閉症スペクトラムのうち、知的障害があるもの(一般的にはIQ70以下)を低機能自閉症やカナー症候群と呼ぶ。自閉症研究の初期は主にカナータイプが問題視されていたため、古典的・典型的な自閉症といえばこのタイプのことである。

高機能自閉症
自閉症スペクトラムのうち、知的障害がないもの(一般的にはIQ70以上)を高機能自閉症やアスペルガー症候群と呼ぶ。「高機能」というのは知能指数が高いという意味であるが、平均的な健常者より高いとは限らず、知的障害との境界域の場合もあれば、平均的な健常者をはるかに上回る場合もある。1980年代以降、急速に認知されてきた。

診断名
「自閉症」という言葉には様々なイメージがあり、中には誤っているイメージも多い。このため、医師が親に話すときに「自閉症」という言葉を使うと、親が誤ったイメージを持ってしまう危険がある。このため、より広い概念の「広汎性発達障害」という言葉を使う場合もある。

合併症
自閉症は広汎性発達障害(PDD)の一種であるため、ADHDや学習障害などを併発する場合がある。低機能自閉症は知的障害も合併している。まれにダウン症と合併する例もある。

なお、興味深いことに、自閉症者は健常者と比べて統合失調症に罹患する確率が極めて低いという報告がある。例えば一般人の統合失調症罹患率は0.8%だが、自閉症者の罹患率はこれよりもずっと低く、報告は世界で10例に満たない。参考ただし、文献によっては一般人と同率、あるいはより高率で発生すると書かれているものもある。

治療
現代医学では根本的な原因を治療する事は不可能とされている。「TEACCH」「ソーシャルスキルトレーニング」などの各種プログラムなどによって、健常者に近い社会生活が送れるようになる場合もあるが、これらのプログラムは補助的な方法であり、根本的な原因が治癒した訳はないとされる。

歴史
黎明期
アメリカのジョンズ・ホプキンス大学の児童精神科医であるレオ・カナーが「早期幼児自閉症」として1943年に報告した。カナーは、「聡明な容貌・常同行動・高い記憶力・機械操作の愛好」などを特徴とする一群の幼児に対し、統合失調症(精神分裂病)の状態を表す用語である「自閉」という言葉を用い、「自閉症」(オーティズム)と名づけたのである。カナーは、自閉症の原因は親の愛情不足だと考え、自閉症児の母親を「冷蔵庫マザー」と呼び、愛情を持って育てれば治癒するであろうと考えた。またカナーは自閉症を統合失調症の幼児版であると考え、「小児分裂病」とも呼んだ。またカナーは自閉症児について、「先天的な知的障害があるわけではなく、心を閉ざしているだけであり、本来は聡明なのだろう」と考えた。なお、カナーはこれ以降、自閉症の研究で自説に反する新事実が発見されると、自説の誤りを認識し訂正していった。カナーの報告した子供たちは、現在の低機能自閉症に当たるとされる。

翌年の1944年、オーストリアのウィーン大学の小児科医ハンス・アスペルガーが、カナーの報告よりも一見軽度ではあるが、共通点がある一群の子供たちのことを報告した(両者に交流はない)。当時ヨーロッパは大戦中であり、オーストリアは敗戦国側であったため、この報告は戦勝国側では80年代まで脚光を浴びることはなかった。アスペルガーの報告した子供たちは、現在の高機能自閉症に当たるとされる。

愛情不足説
カナーの報告から1960年代ごろまで、精神分析家のブルーノ・ベッテルハイムらにより後天的原因説(「冷蔵庫マザー」理論)が唱えられていた。各地の治療施設では、虐待によって発症したのならばその逆をやればよいとの考えのもと、「絶対受容」という治療方針が取られたが、あまり治療効果はなく、むしろ成年以降の社会適応が困難になったといわれる。ベッテルハイム自身も障碍児の入所施設の所長であったが、入所児童への虐待やデータ捏造などがあったという疑惑がある。なお、ベッテルハイムはのちに自殺した。

アメリカの精神分析のメッカであるカール・メニンガー病院では、一時期自閉症も精神分析治療の対象としたが、精神分析が自閉症に効果がないと判明すると、潔く自閉症部門を閉鎖した。このように精神分析や受容療法などの試みが一時期脚光を浴びたが、あまり効果がないと次第に分かってきた。

脳障害説
1960年代後半、イギリスのモズレー病院のマイケル・ラターによって、自閉症は先天性の脳障害だという説が発表され、自閉症の学界はコペルニクス的転回を迎えることになった。現在でも自閉症の原因は諸説あるが、現在主流の説はラターの説が元となっている。

またこのころになると、自閉症と統合失調症はまったく違う障害である事が分かってくる。

高機能自閉症
アスペルガーの死去の翌年の1981年に、自身にも自閉症の娘がいるモズレー病院の医師ローナ・ウィングが、英語圏ではほとんど忘れられていたアスペルガーの論文を英訳して再発表し、高機能自閉症の存在を広く知らせた。それまでのイギリスでは知的障害のある自閉症児にしか福祉の手が差し伸べられていなかったのであるが、自閉症の本質は知的障害や言語障害ではなく対人関係の障害であるため、高機能自閉症も支援の対象にするべきだとの考えである。


世間への影響
遺伝子の異常が原因だとの説、水銀などの重金属の蓄積が原因だとの説などがある。一時期、七田眞や岩佐京子らによって「テレビの見せすぎが自閉症の原因」などの環境原因説が流行し、自閉症の子を持つ親は周囲から責められてつらい立場であったが、現在ではごく一部の学者以外は、自閉症は先天性の障害であり、育て方が原因ではないとしている(岩佐はのちに自説を一部撤回)。

日本ではベッテルハイムの著書「虚ろな砦」が広く読まれたため、未だに自閉症は虐待や過保護が原因である「母原病」であるとの認識が一部に根強い。

マンガやエッセイでの誤用例
 攻殻機動隊(講談社/作者/士朗正宗)マンガ 第1巻 脳以外を義体化している主要人物のセリフ「節電のため(脳を)自閉症モードに」
「自閉モード」ならともかく「自閉症モード」なので、既存の自閉症を意識して書かれた表現だと思われるが、「自分を、または、自(みず)から閉じている」という、80〜90年代の描かれた当時の自閉症に対する一般的な認識、イメージに拠っていると思われる。

しかし例えば、一般の人の(脳は)特定の音だけ選別して聞くことができるのに対して、自閉症の場合はあらゆる雑音を収拾してしまい立ち往生しているような(まるで「自閉」というより「自開」とでも表現するほうが適当であるような)状態を考えれば、マンガの「自閉症モード」という表現は正確には不適当で、自閉症に対する誤った認識の使用例と言える。

 「良いおっぱい 悪いおっぱい」(集英社/個人的な妊娠、出産、育児といったことについて、最初に語った詩人の伊藤比呂美氏の著書)より
「(赤ちゃんに)話しかけなさいと産んだ先生にも本にも書いてあるが続かない。」「(中略)こんなことを続けていたらいつかうちの子は『自閉症』とかそういう心身に障害のある子に育つのではないか」「(〜という生活をしていたわけですが私のアカンボは)自閉症にはなりませんでした」という表現がある。

AQ測定による調査でわかったこと
社会人や大学生の中にも、少数だがAQ上でAS/HFA群と同じ程度の高得点を示す人がいる
自閉症の診断を受けていない人にも、自閉症的な傾向を持つ人がいる
AQで測定される自閉症スペクトラム傾向にはかなりの個人差がある
今後自閉症症状のメカニズムを解明する上で、アナログ研究的アプローチが可能である
●自閉症スペクトラム指数のカット・オフ点

自閉症スペクトラム指数で高得点(33点以上)をとった学生12名を診断したところ、12名中7名が自閉性障害またはアスペルガー障害の診断基準にあてはまった(ただし、生育史が不明であることと、現在不適応を起こしていないため、自閉性障害とは診断されていない)。

自閉症スペクトラム指数33点以上には成人のアスペルガー症候群・高機能自閉症者群の9割近く(87.8%)が含まれるのに対し、健常群で33点以上をとるのはわずかに3%弱であることから、自閉症スペクトラム指数のカット・オフ点(健常者と自閉症の識別点)は33点と決定された。[1]

●自閉症の極端男性脳理論

Baron-Cohenは、自閉症スペクトラム指数の調査結果から、「自閉症の極端男性脳理論」を提唱した。
タグ:自閉症
posted by 塾長 at 15:50 | 日記

ADHD

ADHDは多動性、不注意、衝動性を症状の特徴とする発達障害の一つ。DSM-IVによる正式名は注意欠陥・多動性障害 (AD/HD: Attention Deficit / Hyperactivity Disorder) 。子供ではICD-10によるほとんど同様の症状を指す多動性障害(たどうせいしょうがい、Hyperkinetic Disorders F90)の診断名が使われることが多い。その症状により様々なタイプがあり、注意力を維持したり、様々な情報をまとめることを苦手とすることがほぼ全ての場合共通とする。DSM-IVでは症状に従いさらに以下の3種に下位分類がされる。マスコミ等一般のレベルでADHDと同様の文脈でつかわれていることもあるADDはそのうち多動性が顕著でない場合である不注意優勢型に相当する。

症状
通常7歳までに症状が確認される発達障害の一種で、集中困難・過活動・不注意などが一生にわたって持続する。過活動が顕著でない不注意優勢型の場合、周囲が気付かない場合も多い。

年齢が上がるにつれて見かけ上の「多動」は減少するため、以前は子供だけの病気で成人にはないと信じられていたが、近年は成人の症例も報告されている。そのため、症状は育て方や本人の努力で完治することはないともされている。ただ、子供のADHDでさえ曖昧な点も多く、日常生活に支障をきたす精神的な特性を何でもかんでも障害に含めるべきではないとする意見が根強いため、成人にADHDを認めるべきかどうかは医師によって考え方がまちまちである。成人においては、時間が守れない、物の整理や情報の管理ができない、大切なことを忘れる、見通しをつけるのが苦手で、衝動的に行動してしまう、注意力を持続することができない等、日常生活をきちんとこなす能力に欠陥が現れるとされる。先延ばしも問題になる場合が多い。本人が努力しようとしている場合でも、人と同じように行動できないことが多く、周囲の理解や本人自身の理解も無いことにより劣等感からうつ病や不安障害などの二次障害を生じる危険性が高い。ただし、基本的な障害をかかえた上での社会適応は環境に依存する。またこれら欠点を持つことと同時に、優れたアイデアを思い付く能力や、興味のある対象に対する強い集中力、大胆な行動力を示す場合もあることも知られており、これらの能力を積極的に生かすことで社会的に成功している人もいる。

うつ病やPTSD、アスペルガー症候群でも類似の症状を呈する場合もあり、正式にはADHDに理解の深い医師により診断される必要がある。

原因
正確な原因は不明であるが、中枢神経系の生物学的障害であるとされる。 ほとんどが遺伝的・先天的な障害であり、血縁者に共通してみられることも多い。一卵性双生児ではきわめて高い頻度で一致する。症状は覚醒水準が低いために発生すると考えられている。ドパミン輸送体が過剰になり、結果として脳内のドパミン量が減少することが原因となるとの説が提唱されている。他方で、脳炎や頭部外傷などの後天的な要因が原因と考えられる症例も存在する。

治療法
覚醒水準を引き上げることで症状を防ごうという理由で、治療には中枢神経興奮薬が用いられる。日本では一般に、塩酸メチルフェニデート(薬剤名「リタリン」)が使用される。しかし、これらは基本的に依存性を有する覚醒剤であり、依存性が懸念されることも多い。一方で、AD/HDの者に関する限り、薬剤耐性はつきにくく依存の心配はないという報告もなされている。思春期以前の児童に関しては依存の危険はないとされる。

心理療法については、行動療法を薬物療法と組み合わせた場合に効果がみられるが、行動療法のみでは役に立たない。さらに、本人の症状をコントロールすることよりも、本人の特性にあった環境を整えることが必要である。

日本では発達障害者支援法が制定され、以前より支援体制は整ったものの、まだまだ発達障害を専門とする医師・医療機関が少ないため、診断や治療にはかなり苦労することが多い。最近は支援団体や自助団体が各地で設立され、インターネットの普及もあいまって、情報は入手しやすくなりつつある。

公的支援
長らく公的支援の蚊帳の外に置かれてきたが、児童福祉の観点から2005年に発達障害者支援法が成立した。これにより特別支援教育等の支援策に弾みがつくことが期待されている。しかしながら、成人では障害者自立支援法の検討や32条見直しなどにより、負担だけが増えていくものと思われる。成人支援は一部の地域で限定的に行われているに過ぎない。
タグ:ADHD
posted by 塾長 at 15:47 | 日記

理科離れ

理科離れ(りかばなれ)とは、理科に対する学生・生徒の興味・関心が低くなったり、授業における理解力が低下したり、日常生活において重要と思われる基礎的な科学的知識を持たない人々が増えていたりすると言われる一連の議論である。科学的思考力や計算力の低下により、特に高等教育において授業の内容を理解できない生徒が増え、専門的知識・技能を有する人材の育成が難しくなることが問題として指摘されている。

一般的に科学技術が発展している国ほど市民の科学的思考力が低下しているとの指摘もある。これは科学技術が高度になり複雑化するにつれてブラックボックス化し理解しにくくなっているという側面もある。ただ、日本では、一般市民の科学リテラシーが先進諸国と比較しても極めて低いことが指摘されている。

科学教育に関する一部の研究グループは、文部科学省が理科の学習内容を大幅に削減し、科学教育の質を低下させていることに対する揶揄を込めて理科離しと表現することがある。

現状
現状では、理科離れの明確な定義は存在しない。それを指摘する根拠の一つとして、国際教育到達度評価学会が実施した「国際数学・理科教育調査」により、日本の生徒は成績が良いにもかかわらず、理科が面白いと思う生徒が極めて少ないことが挙げられる。「科学技術と社会に関する世論調査」でも、国民の科学技術に対する関心は先進諸国と比較して極めて低いとされる。このような状況を表現する一つの用語として、理科離れが使われるようになったと考えられる。

理科離れに関する研究は、専門的な研究対象としても位置付けられている。研究者に対する研究助成金として最も重要と考えられている、文部科学省科学研究費補助金では、時限付き分科細目の科学高等教育の分野において数学嫌い、理科離れの用語が使われており、大学教育の質の維持が著しく困難になっていると述べられている。また、文部科学省の科学技術・理科大好きプランでは科学技術離れの用語も使われている。


議論の歴史
1977年に改訂された学習指導要領の内容について、学校教育全体における理科の位置付けが低くなったと指摘された。実際に、その頃から理科に関する生徒の興味・関心が低下し、理科の授業内容を理解することが困難になる場合が見られたとされる。

そこで、文部省は1989年に改訂された学習指導要領で、実験・観察を重視することを求めるようになった。実験を増やすことが理科離れを防ぐための問題解決の方法として考えられ、1990年代からはそのような運動が盛んに行われた。

原因
理科離れの原因として考えられている内容は次のように分類できる。

子供をめぐる状況
学習指導要領の改悪
ゆとり教育の推進により学校の授業時間数が削減され、教科書の内容も従来と比較して著しく貧弱なものになっている。そのため、多くの観察、実験、資料などから科学的な原理・法則を導き出し、理解を深めるような授業がやりにくくなっており、本質的な理解ではなく暗記が重視される傾向がある。言い換えると、学習事項の削減は暗記事項を減らすことを目的にしていたにもかかわらず、逆に与えられた知識がぶつ切り化し、児童・生徒に多様な事象を相互に関連付けて体系付けることを困難にしてしまったのである。こうして学習事項の削減はむしろ、意味づけのできない暗記を強いる結果を招いたのであった。その結果、理科の楽しさが伝えられにくくなっている。

またその一方では、旧来の指導要綱で暗記が偏重され過ぎた結果、「テストが過ぎれば忘れてしまう」種類の知識ばかりとなった反省から、体験や観察を重視するカリキュラムへの移行が見られるが、これらは依然として個人の内部において論理体系を育んだり、その原理を探求するといった、理科=科学の根底にある探求が等閑になっている傾向も見受けられる。実験や観察の結果を考察し、そこから結論や真理を導き出す過程が欠落した結果、現象のみの知識だけを持ち、その理由に対する理解に及んでいないケースが見られる。2004年4月には、小学生の4割が天動説的な説明の文章に「正しい」と回答しているといった報告も提出され、同問題をより深刻な物と受け止める向きも多い。1989年や1998年に発表された学習指導要領では、「地球が動いている」ことを理科ではっきり学習するのは中学校であるので、天動説を信じている小学生が多いことも驚くことではない。

個々の学習内容に関しては、中等教育、特に高等学校のカリキュラムにおいて地学履修者の大幅な減少を来たしている。そのため、日本は世界有数の地震国、火山国であるにもかかわらず、地震や火山に関する中等理科教育をほとんど受けないものが大多数になるという事態を招いている。

また、例えばアメリカにおいてはかつてのスプートニクショック以来の理科教育の現代化のためのプロジェクトチームのうち、物理学、化学、地学のチームは解散したが、生物学だけは今日まで活動を続けている。生物学はパラダイムシフトが現在でも継続して起こっており、しかも生物学を基盤とするバイオテクノロジーが基幹技術としての発展を遂げている。また今後ますます深刻化する環境問題への対処のためにも生物学の知識は欠かせない。アメリカはこうした事態を見込んで生物学教育の現代化政策を今日でも継続していると考えられている。しかし、日本では学習指導要領における生物学分野の削減が著しく、現代生物学の習得能力を奪っているとの指摘がされている。

詰め込み教育、受験競争
短時間で限られた問題を正確に解くための、詰め込み教育や受験競争によって、理科の本来の目的の一つである理論的にじっくりと考察する態度が軽視されるようになった。また、理科が好きな生徒でも、受験競争が優先され理科に関する趣味を楽しむゆとりが少なくなっている。

教科書の編成でも、欧米の理科教科書は日本で言うならば学習百科事典に相当するボリュームのものを学校から生徒に貸与し、生徒はここから自分の関心の深い分野や切り口を探索できるようになっている。それに対して日本の教科書ではあらかじめ精選したメインストリームを設定し、これに沿った構図を無駄なくシステマティックに教授する構造となっている。確かに科学の論理的体系を整理した形で身につける上で日本の教科書は優れている面があるが、研究が進展しつつあるまだ十分体系化されていない背景部分が大幅に排除されており、生徒の多様な関心をすくい取る力に乏しいのみならず、既に完成された体系を受容するだけという、科学に対する能動的態度を損なう要素も指摘できる。

自然に触れる機会の減少
子供たちが自然に触れる機会が減少し、生物の観察や飼育などの体験を行う機会が減少したことにより、不思議だと思ったり、科学的な価値観を知ることで科学に興味を持つ子供が少なくなっているとされる。しかし仮にこれが正しかったとしても、観察能力が低下したと言う事であり、離れの引き金である好き嫌いという感情とは別である。たとえて言うなら、「霊感の強い自然科学の分野の権威者」と、霊感・オカルトとの関係のようなものである。理科が嫌いになるという意味の離れの傾向は、都市部と農村部で比較してもそれほど大きな差は無いことから、この問題は、自然環境の有無よりも子供を取り巻く状況に依存する要素が大きいと考えられる。農村部での子供の自然体験の減少には、農村部での高齢化に伴う児童数の減少で年長の子供から年少の子供への自然の中での遊び方の伝承が途切れ、これによって子供が外で遊ばなくなったことも指摘されている。

また、かつては県ごとに組織されたローカルな自然史研究会、生物学会、地学会の類に加入し、地域の自然に基盤を置く教材研究に努める理科教員が多かったが、近年は若い教員の加入が著しく乏しくなっており、校務分掌の多忙化もあってこうした活動が低調になってきている。そのため、地域の自然に関して豊富な知識を持つ教員の数も減少してきており、児童、生徒への適切な助言をこなせない状況が生まれてきている。

子供の趣味、遊び、手伝いの変化
おおよそ1960年代までの日本では、ラジオ少年という言葉に代表されるような、電気製品の分解や修理、組み立てなどの電子工作を楽しむ子供が多かった。これは完成品が高いものでも、半完成品として販売されていたり、作成方法が公開されていることにより、部品を集めることによって作ることが可能になっていた。1970年代までは、それら子供向けの半田ごてを利用する、ラジオや無線送信機などの工作キットも多く発売された。実際問題として他の娯楽も少ない事から、比較的安価なそれらのキットを利用して、ラジオ放送を楽しむ子供らも少なくはなかった。アマチュア無線の存在もこの傾向に影響を与えていたと考えられる。

また、電気関係以外にも、物を作ったり解体したりする趣味や遊びが多数存在し、そのような子供に対する尊敬の念もあった。また親たちも家庭で使われる道具類を自分で修理したり自ら作成してしまうことも多く、それを子供に手伝わせる機会も頻繁であった。そこで得た興味や技術を糧にして、大人になってからも専門家として科学技術を支える重要な役割を務めていることが多い。

しかし、1980年代中頃から1990年代にかけてテレビゲームが普及したことや、家庭で用いられる電気製品が高度化して、分解や修理を行う必要性が無くなった(あるいは出来なくなった)事もあり、自然観察や工作を楽しむ子供は減っていった。また、さまざまな製品の値段が大量生産によって低価格化したことで、家庭で使う道具類を自分で修理しなくなり、道具を家庭で作るという行為に至ってはそれ以前に衰退していた。このことが、理科離れの原因の一つと考えられている。

1980年から1990年代以降には、子供向けの文化媒体(主に娯楽媒体)市場が拡大した。これによりプラモデルとミニ四駆の人気などのキャラクター商品が台頭し、電子工作キットの地位が相対的に下がった。また、子供向け娯楽媒体が一日の生活において一定の時間を占めるようになったため、子供らが日常の生活や手伝いを通じて、家庭内に普遍的に存在する様々な現象に関心を抱く機会が減っている事を挙げる向きもある。またこの過程において、読書などの行為に没頭する時間も年々減少傾向が著しく、2004年の調査では高校生でも、学校カリキュラム以外では、一日の読書時間がゼロという生徒が4割を占めるなど、知的好奇心が低下したと考えられる傾向が見られる。この傾向は大学生にも顕著で、2000年代に前後して、大学受験の要求する学力レベルが低下している中で、新書などの書籍を全く読まない、もしくは読む能力が無いという学生も多いと嘆く大学教授もいる程である。(「活字離れ」にて詳述)このためか、知的好奇心をもって物事に取り組む層とそうでない層の間の溝は深く、意思疎通が図りにくいと指摘する面もある。

科学に詳しい者を排除する社会傾向
科学技術への関心を持つ層は表面的なイメージや先入観のみで「おたく」というレッテルを貼られがちになり、おたくを嫌悪する層によってコミュニティから排除される可能性もある。近年では、若い女性が科学的な知識に富む男性を「おたく」として、恋愛や結婚の対象から排除することがある。進学先を決定する時期は、異性への関心が高まっている思春期に当たるため、このようなことが、男子学生の理科離れを促進しているという指摘もある。

だがその一方、日本の若い女性には、時折科学技術への従事者に対して注目をすることもある。例えば、日本人のノーベル賞者や、高収入のIT技術者などがマスコミで報道された場合などである。

社会人をめぐる状況

大人の非科学的思考
特定の世代に限らず、科学的な根拠が全く無い話を単純に信じ込む傾向が認められ、その中には日本人だけに顕著に見られるものがある。血液型性格診断やマイナスイオンが代表的な例である。他にも、家に住み着いた小動物(昆虫やクモなど)を人間の生活に害を与えるものでなくとも駆除したり、逆に人間に感染する病原菌をもつにも関わらず愛玩する(ミシシッピーアカミミガメなど)などの傾向が挙げられよう(益虫・害虫参照)。これらの原因として、理科離れが原因もしくは結果として論じられることがある。科学離れと表記されることもある。理科教育、科学教育の内容が十分ではなく、疑問に思う態度が養われていないとされ、物事のとらえ方において論理的・科学的・理性的な思考よりも感情的な思考が優先する傾向がまま見られる。


これには近代以降、科学の術語の多くが時代に応じた科学的思考を伴って受容されたのではなく、しばしば科学的思考と対極のところに位置する伝統的なコスモロジーの中に位置づけられて受容されたことも考慮する必要がある。例えば「黴菌」「伝染病」「遺伝病」「消毒」といった医学、保健衛生学の術語は、伝統的な「穢れ」や「禊」の思想をさらに権威付け、補完する術語として受容され、ハンセン病や水俣病患者に対する激しい差別のひとつの要因となった。

また、社会人が広範な科学知識を現実の科学の発展に即して得る手段としての科学ジャーナリズムも、日本では基盤が貧弱である。高度経済成長期にホワイトカラー向けの、経済バブル期にもっと広範な大衆向けの科学雑誌の発展がありはしたが、その多くがバブル崩壊後に廃刊に追い込まれている。科学に対する興味が薄れることによって売上げが減少し、人目に触れる機会が減少することで、さらに売上げが減少する悪循環を生じていると考えられる。

現在は一般向けの総合科学雑誌は岩波書店の「科学」、日本経済新聞社の「日経サイエンス」、ニュートン・プレスの「Newton」程度であり、前2誌もむしろ研究者、技術者向けの比較的高価な専門誌と認識され、ホワイトカラー層においてすら、敷居の高いメディアと認識されているのが現状である。「日経サイエンス」はアメリカの"SCIENTIFIC AMERICAN"誌の日本版だが、英語版本誌及び大半の他国語版がどちらかというとホワイトカラー層にターゲットを置いているにせよ、安価で大量に発行されている大衆雑誌の扱いであることと比較すると、日本における大衆、特に高等教育を受けているホワイトカラー層の科学リテラシーの低さは深刻なものがあると考えられる。

ただ、「科学のみが絶対的な価値基準なのか?」といった疑問もあり、上記の指摘に反駁する意見も数多い。また、ある程度体系だった科学リテラシーを持つには、各々の教育水準や幼少からの家庭環境も影響しているだろう。これに類する見方は教育社会学で研究されてきている。どのような過程であれ、問題解決に至るには、これらの見方も取り入れる必要があろう。

科学技術に対するメディアの扱い
上記のような科学専門メディアの衰退の一方で、原子力事故や感染症をめぐる問題など、現在の科学技術における失敗例や、未解決の問題は数多く存在する。こうした問題は、科学技術を用いることによってしか解決が困難なものが多いにもかかわらず、一部には、それらの危険性ばかりを強調し、科学技術そのものに対する不信感を持たせるような報道や世間の論調がある。また、科学技術に関わる科学者や技術者に、人格的欠陥があるようなイメージを与え不当に貶めるような論調も少なくない(逆に、科学者や技術者が人格的に賞賛すべき人物であると極端に持ち上げることもある。これも逆の意味で、彼らに対するメディアの扱いが歪んでいる証左であろう。田中耕一を参照)。これは報道側に、科学に関する基礎的・社会的知見を欠いた文系出身者が多いためと指摘する者が多い。

研究者・技術者の就職難と社会的地位の低さ
現在の日本では、理系の分野で研究者・技術者を目指しても、特に大学院博士課程修了者の就職難が極めて深刻であり、また就職できたとしても文系と比較して待遇が劣ることが多いとされる。理系の生涯賃金の平均が文系より5000万円近く低いとする調査もある。そのため中学校や高校で理科が得意であっても、その才能を伸ばして専門職に就くことをあきらめ、大学で文系の学部や医学部を選択する生徒も少なくない。特に80年代後期のバブル時代には金融業がもてはやされ、賃金も銀行と製造業とでは大きな格差が生じた。理工系学部を卒業しても製造業には就職せず金融業に就職したり、大学進学に当たって、実験や演習・リポートなどで学生生活を拘束されがちな理工系を敬遠し、文系学部に進学するという傾向も目立った。

これらの現象には次のような背景が指摘されている。 欧米先進国のみならず、多くのアジア・アフリカ諸国などでも、高学歴者とは大学院の修士課程や博士課程の修了者を意味し、理科系の大学院修了者が政府機関や企業の指導者層として数多く登用されている。しかし、日本ではこうした社会的地位に登用されるのは難関大学の文科系学部卒業者である。現状では、文理を問わず、大学院修了よりも学部卒のほうが優遇される傾向にあるため、基礎科学分野や科学技術分野の高度な訓練を受けた者は社会の指導的立場には立ちにくい構造になっている。理科系の大学院修了者は、文科系学部卒エリート層の補佐的立場と認識されているという見方もある。したがって、科学技術的な観点が政策決定や企業意志の決定に反映されるには、一定の障碍が生じると考えられる。これは近年のSTS(科学技術社会論)研究も指摘するところだろう。また、日本の銀行の融資システム上研究者によるベンチャー起業が困難であり、大学や既存の企業のサラリーマン技術者としてしか自己の有する技術によるビジネスチャンスを得られないという問題もある。

対策
理科離れをなくすため、などの目的で、各地で科学実験教室や講演などが多数開催されている。また、授業の中で実験や実習を取り入れる動きも盛んである。

2004年に、科学技術・学術審議会人材委員会は、修士号以上の学位を持つ教師を増やすなどを盛り込んだ提言を公表した。また、各種の助成金を設けたり、科学技術を一般の市民に分かりやすく説明するための専門職を設置するなど、政策としての対応も見られる。

これらは一つの対策として有効な方法であるが、あくまで対症療法的な対策であり、子供や教師を取り巻く社会環境の変化を改善することが最も重要とする意見がある。また、子供に理科への興味を持たせることには注目が集まっているものの、社会人をめぐる状況、特に理系の社会的地位の低さなどについての議論は、まだ十分ではない。一般市民向けのイベントなどを開催しても、低学年の子供ばかりが集まり、青年層の参加がほとんど無いようなケースも見られる。

さまざまな理科離れ対策が1990年代から活発になっており、それらに参加した子供達は高等教育を受けたり社会で働いたりする世代に成長した。しかし、理科離れ対策がその世代に与えた影響について、十分な調査・分析が行われた例は少ないので、今後の研究の進展が待たれている。

理科離れの問題は、優秀な生徒に特別な教育カリキュラムを提供するエリート教育としばしば混同されることがある。しかし、理科離れは一部の特別な生徒ではなく、国民全体による知の問題とも解釈できるため、本来は同等に議論すべき問題ではない。

理科離れ対策の本質は、学校や教師だけに一方的に責任を押し付けて解決する問題ではないというところにある。社会全体の知的水準の向上、高等教育や知識人のあり方など、非常に広範な観点から見直すことが求められよう。

理科離れによって派生する社会的問題
理科離れによって、疑似科学を巧みに利用した悪徳商法やカルト教団等による活動などが行いやすくなる。そのため、理科離れは彼らと癒着した政府によって、意図的に進められているのではないかという陰謀論も存在する。

それは兎も角としても、疑似科学的な物を利用した悪徳商法は多く、浄水器や空気清浄機・健康食品の一部製品では、学術用語風の造語や根拠の無い数字の列記で効能を謳う物まであり、これら製品の販売がしばしば、不当表示や薬事法違反によって摘発される事件も発生している。

これら悪徳商法では、「○○大学教授」や「○○博士」といった、学歴や学位を持つ知識人が太鼓判を押したなどとする宣伝文句が多用される。しかし、ある程度の科学リテラシーや、一方的な情報に流されない常識的かつ健全な消費者としての視点さえ持っていれば、その宣伝文句やデータなどに惑わされることはないとも考えられる。

だが科学が歴史的に大学を揺り籠として発展してきたため、学術用語などの難しさもあいまって、「科学とは専門家のための学問である」という認識を大衆に与え続けている。このことから、科学の権威によりその様相のみに惑わされ思考停止してしまう大衆の性質もさることながら、科学・技術の適切な社会的認知をもたらせていない知識人のあり方の双方に問題があると思われる。また、学問上の所産が知識人により非科学的に濫用されることもあり、例えばゲーム脳のような問題はこれにあたると考えられる。

また、政策を立案する政府機関で指導的立場にあるスタッフに、高等教育機関にて理科系の学問を専攻した者が少ないという現状が指摘されている。これはつまり、日本の政府機関は厚生労働省など一部の官庁を除いて科学リテラシー能力が低く、科学・技術的な視点を必要とする問題への適切な対応や、合理的な政策立案に差障りが生じているという見方である。

政策立案スタッフが必ずしも理科系の学問を修める必要はないかもしれない。しかし、政策科学的な視点からも、また国家を取り巻く諸争点を考慮しても、いわゆる文系・理系の専攻の差異に関係なく、一定の科学リテラシー能力を養う義務を教育制度が負う必要があると考えられる。理科離れは、(特に大学での)一般教育の復権を取り巻く問題や、学際的な視点、ひいては知と知識人の社会的なあり方を巡る問題とも関わっていくだろう。
タグ:理科離れ
posted by 塾長 at 15:46 | 日記

いじめ

いじめ(苛め、虐め)とは、立場の弱い個人に対して、精神的にあるいは肉体的に苦痛を与える行為である 嫌がらせが一時的もしくは継続的に行われている状況である。

加害者は、海外では若年層によく見られ、日本では江戸時代の「ムラ社会」(村八分など、集団で一人の人間を集中していじめることが許された)から脱却できていない人々によって、集団・人々で行われることがある。いじめている側にいじめの自覚がなくとも、相手がその行為によって苦痛を感じればそれは広義のいじめである。この点における意識の違いが海外に進出した日本企業におけるセクシャルハラスメントとなり問題となっている。

被害者になりやすいタイプは、精神的に弱い者、肉体的な弱々しさ、障害を有する者、その社会で当然とされている価値観に疑問を唱える者など、何らかの理由で周囲から疎まれる者とされ、小中学校などでは他の地域から引っ越してきた転校生が標的にされる場合もある。

加害行為は、最近は物を隠す(いたずらする)、交換日記で悪口を書くなどといった「心に対するいじめ」が多くなっており、陰湿且つ水面下で行われることから教師や周囲が気づかないうちに深刻な事態に陥るということになりやすい(これについて、「いじめに気づいていても見て見ぬふりをしている責任者も多い」という考え方もある)。




いじめに至る原因と対処 (いじめをなくすには)

いじめる側
いじめには、学校・職場などにおける個人レベルのもの、団体・企業内の抗争など多種多様な局面があり、一部は社会問題化している。いじめに至る原因は多様であり、原因別の細かな対処が要望される。

故意の場合。
 楽しさからする場合。人間の欲求の一つ。人を痛めつける欲求からする、という状態。
→他人を暴行したり、物を盗ったり、ゴミ箱に捨てたり、他人の宿題の日記を勝手に見てそれを見ていじめたり、嘘を広めてそれを元にいじめたり、汚水を口にめがけて投げて食中毒にさせようとしたり、究極的には死に追いやることを目的としたいじめ。
常に自分の意思を抑圧されるような環境におかれている場合(心理的なストレスの大きい環境の場合)。(例:徹底されたあるいは過度の管理教育・偏差値主義・競争主義教育、職場、スポーツ、恋愛、嫁姑関係など)
→ 周囲の環境を「自分の意思に反する課題を強要する専制的な場」と否定的にとらえるのではなく、学業・仕事は必要と割り切り、「自分の将来・目標に対して最適な場であり、自分の意思に反する課題は、自分に必要なこの共同体に所属するために、パスしなければならない課題だ」と肯定的にとらえ直す。
自分の力を確認することで安心を得ている場合(もしくは自分の力を見せ付けて快感を得ている場合)、(例:相手の上にいることを示す・自分の意思のみを通す・相手がいつも従うことを確認する)
→ 力を見せ付けることは自分の欲求を抑えられないということであり、つまりは、人間的に成熟していないことを周囲に示しているのにすぎないのだと説く。もしくは、長期的にみれば自分を孤立させる結果になることを説明する。また、職場であるならば、相手の気持ちを傷つけてまで支配関係を明確にすることは、業務の効率を落とす結果にしかならないことを理解させる。(例:パワーハラスメント)
未知のもの・自分と違うもの・他者に対する恐怖から生じる、偏見・憎しみ・差別。
→ 教育によって互いを知り、意見を聞く対話の場を作り、話し合いの上で、決断し、実行すること。(出典:国連アナン事務総長の世界寛容デーへのメッセージ)
職場において、リストラ策の一環として自分から辞めるように上司や人事部が誘導する場合。
→ 人員削減以外にもリストラの方法はあることを会社側に理解させる。労働組合などに働きかける。都道府県労働局の総務部企画室の総合労働相談コーナーに訴える。
本人に悪意のない場合。
人とのつきあい方が判らない場合、実現不可能な欲求への不適切な対処・不適切なストレスの緩和方法を行う傾向がある場合。(例:憂さ晴らしに苛めるなどの、不適切で屈折した方法で快感・満足感を得ようとするなど)
→ ソーシャル・スキルの習得。(例:判断力、行動力、コミュニケーション力、実現不可能な葛藤や欲求への適切な対処方法の習得(補償・昇華)、健全なストレス緩和法の習得(得意な学業・仕事での目標の達成による充足感、スポーツや趣味など))
いじめに加担していても主体的ではない場合。見て見ぬ振りをしている場合。(例:教師が児童生徒とグルになって苛める場合)
→ 必要な法律的知識を与える。自分もいじめの対象にされたくないので苛め、その結果刑事事件になった場合、放置・加担は実行犯と同罪になると知る。
見て見ぬふりはいじめの重大な構成要件の一つであるということを万人が理解しなければならない。
なお、学校でのいじめの一因として、教師が苦手意識(この子はいやだな…など)を持った児童がいじめられるのではという意見もある。これは教師がその児童に対して何らかの形で苦手意識を持ち、それを他の児童が感じることにより、「この子ならいじめても構わないだろう」という暗黙の了解に転換していく危険性があると指摘される。

また、加害者及び加害者に同調する者は、いじめは被害者の方が悪いのだと、自分達の行為を正当化し被害者に責任転嫁をすることが多く、同時に被害者への偏見を周囲に広めることもある。また、被害者が「自分にも責任がある」という視点を内面化すると、被害者がいじめに対処する気持ちを失わせ、自己を蔑視するようになり、自殺や自傷などの行為に走る場合も多い。いじめが長期化・悪質化すると、徐々に周囲が被害者を蔑視する事態も生じる。このように問題が固定化し複雑化すると被害者や周囲によるいじめへの対処は困難となる。


いじめられる側
誰でも被害者になりうる。いじめられる側が苛めによって泣いたり苦しまなければ苛める意味がなくなっていじめをやめる、という意見もあるが、逆に何も反応がないと余計に腹が立ちいじめがさらにエスカレートすることもある。勉強・恋愛など、ひとつしかない勝利者の座席を競いあう場合、いじめる側は勝利をつかむまでいじめを止めない。苛める側は、わずかな年月が経つと、苛められた人間の事を何事も無かったかの様に忘れるが、苛められた側はいつまでもその事を心に傷を背負う事になり、その記憶を簡単に忘れる事は出来ない。立ち直る人間もいるが、立ち直れず何をやっても失敗になってしまうケースの方が圧倒的に多く、最悪の場合は、生きる事に希望を失い自殺、または過重なストレスを発散する為、犯罪行為に手を染めてしまう事もある(またそれがやっていない未遂でもそれを元にまた虐める)

被害者が加害者側が主張する「欠点」を是正・改善することでいじめの軽減・終焉に至る例もあるが、いじめの悪質化・長期化が進行していない場合である。悪質化と長期化が進行している場合、加害者や周囲にとって被害者へのいじめ・差別・蔑視が事実上当然のことと認識されているので、欠点の是正・改善に効果がなく、その場合は、転校・転職・転居なども有効な手段として考えられる。

下記の方法で距離をとったり、ストレスを上手に発散することも、有効な対処であるとされる。

苛める人間と同じ土俵で争うのではなく、自分が強者になれる新たな「土俵を作る」
自分の能力を生かせる新たな場を開拓する(例。家庭や職場の人間関係はやむを得ないので、趣味で油絵を始める、など)
また、被害者が児童・生徒である場合、必要以上に他人に依存せず自分で問題解決をする姿勢をある程度身に付けることも、教育上の観点から有益であるという意見もある。が、自分で解決させようとして放置することにより、逆に「自分には頼れる人間が誰もいないんだ」と塞ぎこんで人間不信に陥ったり自殺に至ってしまうケースも見られ、批判も強い。

周囲
いじめの成立、および防止において最も重要な存在は周囲であり、周囲がいじめの行方を左右するといっても過言ではない。なぜなら、苛められる人間は、学校や会社などの集団生活の場で一緒に円満にやっていくために、喧嘩によってその場から閉め出されるという状況を回避するために沈黙し、苛める側に対して有効な主張や抵抗を行うことができないことが多いからである。

いじめの周囲にある場合、特に苛められる側に入れられることを恐れて傍観者となることを選択し、いじめを止めさせることが出来ない場合にも責任が生じる可能性はある。将来を悲観した被害者が自殺に走るなどして刑事事件となった場合、事態を知りつつ放置した人間は、いじめをあおった人間同様、加害者と同罪とみなされることがある。 いじめは犯罪であり、周囲は苛める側に対していじめをやめるよう指導する法的責任がある。

周囲の動向により、被害者が孤立化が進行することが多い。加害者が意図的に被害者を孤立させる場合もあれば、そうでなくても周囲の保身や事なかれ主義による場合も多く、いじめの長期化の場合は、加害者及び周囲の被害者への偏見・蔑視による。被害者の孤立によっていじめ問題が複雑化し、解決が極めて困難となる(大平光代(前・大阪市助役)の著書『だから、あなたも生き抜いて』(講談社)にもこのような現象が記されている)。

周囲には、いじめがあると知った場合、強い意志をもって対処することが求められる。 具体的には、冷静にいじめを分析し、有効な問題解決を得ることが求められる。

例1)苛める側がどうにもならない人物(聞く耳を持たない、自己修正機能に欠ける、など)である場合、クラス替え・席替え・転部・転勤・異動・転職・人間関係の整理など、穏便に両者の間に距離をおくことが有効な回答となる。

例2)苛められる側の成績が優秀なために苛める側の嫉妬感情を生み、いじめを深刻化させた場合は、(年功序列ではなく)適正な評価基準を導入することにより回答を得ることができる。

例3)体育で苛められても、国語の授業を通して、各人の意見や反論能力により、挽回の余地もある。

いじめのメカニズム

いじめの一次被害
苛める側による殺人(特にアメリカでは銃の乱射)や、後遺症の残る大怪我など。
苛められた側による苛める側への報復。
苛められる側の孤立化
苛める側・周囲の苛められる側への蔑視・偏見
苛められる側の不登校・低学歴化による(中長期的)失業・PTSD・精神疾患・ホームレス化・自殺・・・ 苛める側には刑事責任・民事責任(不法行為に対する損害賠償請求権)が発生する

いじめの二次被害
苛める側による虚偽申告(刑事責任・損害賠償責任を回避する目的で虚偽申告を行うなど)
苛める側によるプライバシー侵害(犯行を明らかにしていないかチェックするため)
過去苛められっ子であったことが知られることによる、差別の再生産

学生の場合の例
年齢別区分については、肉体的年齢ではなく、精神年齢を基準とすることが望ましいという意見もある。

幼稚園・保育園:おもちゃの貸し借り、遊具の貸し借り、砂場での領土争いからいじめが始まる。
小学生:服装、話し方、肌の色、家庭の事情、出自、身体的特徴、お弁当、成績不良、国語の作文(一方的な人間像が周知されてしまうなど)からいじめが始まる。親や先生の目にいじめが見えなくても、あからさまにまたは陰湿に行われている。この年代は、善悪の判断が付き出す年齢なので、苛められる子を助ける(ことができる)子は、ヒーローと見なされることもある(その一方、苛めを率先して実行している子がヒーローと見なされることもある)。
仲間はずれ
ビンタ、腕たたき、頬つねり
裸の刑(男女ともに)
密室に閉じこめる
汚物の刑
あだ名
所持品を捨てる
恐喝、万引きの強要、
言葉の侮辱
教師による暴行
無視
給食のおかずやデザートを取られたり、いらないものを無理矢理食べさせられる。
中学生:(統計上)いじめが最も深刻とされる年代である。ひどい場合は、ケガをさせられる事や殺害しようとする事もある。
高校生:いじめによる退学で低学歴化を招き、被害者の人生を大きく損ねることが多い。

社会(人)の場合の例
日本では「いじめ」は集団社会、特に大人の社会の中でも広く見られる行為である。

社会人:職場のいじめは、生活の糧を得るための仕事を困難にし、幸福の手段を奪うことに等しい。「人類幸福のための仕事」という崇高な理念を覆す深刻な問題をかかえている。高齢化・社内恋愛・不祥事隠し・労使紛争など、何らかの理由で退職させたい人間を、(組織ぐるみで)自分から退職するように仕向ける時にも行なわれる。被害者は、いじめによる信用失墜・その結果の長期的失業などで、人生を根本から失うこともある。
会社間:「取引先・中小企業いじめ」(大企業が、資金力や規模の力によって、自らの発展や儲けだけを考え、値段を下げて市場を独占したり、下請け企業の発注価格を必要以上に下げて苦しめることや、政府が意図的に中小企業を冷遇する政策を推進することをいう。例をあげると、バブル後に、大企業は自らの負債返済のために、あらゆる合法的、非合法的手段によって、中小企業いじめをして、つぶしてきた。いざ破綻すると、再生機構に入り支援されるという構図があり、ここ数年益々中小企業の立場は苦しくなってきている。日本の経済基盤は中小企業で支えられており、中小企業の弱体化は日本の国力の弱体化を意味している。)
家庭内:嫁姑問題(かつては、集団で主導権を握る姑が嫁をいじめる場合が多かったが、核家族化した現代では、嫁が姑をいじめる例も多々存在する。根元は、自分の生活習慣や思想を相手にも強要し、それが受け入れられないからであり、息子を嫁に取られた若しくは夫を独占できない妻が感情的に起こす場合もある。2世帯住宅を隣に建てるという解決法がある。)
国家・人種:異人種への歴史的怨恨・偏見・経済格差に基づく国家間の紛争・差別的取引などがいじめとされることがある。
民族浄化 
南北問題・ 経済格差
児童労働・ 児童買春

事件別例
刑法上の犯罪となる全ての攻撃。

殺人罪:法律上は傷害致死や自殺教唆であっても、「未必の故意」による殺人罪として立件されることもある。
傷害致死罪:(例)集団によるリンチによって、被害者が死亡。
自殺教唆罪:自殺を促す(とびおりろ、など)。
暴行罪・傷害罪:殴る、蹴る、刺す、縛る、煙草をからだに押し付ける。
脅迫罪:脅す、ナイフで刺すふりをする・ナイフを見せる、暴力団などの犯罪集団と共謀する。
強要罪:性行為(自慰、売春など)の強要。常々いじめられる者同士を喧嘩させる。
恐喝罪:暴行や脅迫による金銭の要求。
強姦罪・強制わいせつ罪
名誉毀損罪・侮辱罪:盗撮、中傷。中傷ビラの頒布。
器物損壊罪:被害者の所持品に落書きする、勝手に捨てる、壊す。
窃盗罪:被害者の所持品を盗む。
犯罪の教唆(実行犯と同罪):強姦など性犯罪の要求、万引き(窃盗)など財産犯の強要。
偽証罪(法廷などで)・誣告罪:犯罪等を行ってそれをなすりつける、法廷など公的機関での虚偽報告。
その他の人権侵害(犯罪として立件できないにせよ、民事上の不法行為と認定されうる)

無視、陰謀をめぐらすこと、教師や上司に事実ではない不利な虚偽報告をする。
労働問題

パワーハラスメント:上司が部下に対し職責上の立場を利用して嫌がらせをすること。
不当労働行為:組合に加入していることを理由にして労働条件で差別的に処遇すること。
不当解雇:職場で、責任をとって辞めさせるような状況をつくる。
セクシャルハラスメント

法律上の保護
いじめ被害者は、下記の法規定によって保護される。

人権侵害等→憲法:権利の回復・損害賠償請求
刑事事件 →刑法:刑事訴追
民事事件 →民法:損害賠償請求
各法規定は、被害内容を下記の2つに大きく区分する。(一般に「いじめ」は後者をさすことが多いが、前者も該当する)

身体的苦痛(殺人・拷問・傷害などの瞬間的な肉体的打撃である暴力、障害)などの実害
精神的苦痛(非常に陰湿で、長期間苛められる側(被害者)の精神に大きな打撃を与えるもの)
法手続きに入る前に、必ず、証拠・証人を用意する必要がある。証拠がなければ、相手はほぼ確実に狂言扱いする。

証拠・・・ビデオ・写真・テープ(音声)・メール・手紙・謝罪文など、相手が犯行内容を認めたもの。
証人・・・途中で苛めた側の脅迫行為で気が変わることも多いので、迅速に証人の旨、書面などにサインを頂くべき。
対処は、可能な限り、迅速に行われるべきである。なぜなら、全ての罰則規定には時効があり、裁判には気の遠くなるような時間がかかる(上告がある場合、数年〜数十年)。 また、いじめが長期間継続して行われる場合においては、最初のうちは被害者を退職させる等の手段としても、そのうちにいやがらせ行為を行うことそのものが目的と化すことがほとんどであり、期間が長いほど加害側が周囲にも被害者への偏見を育てる余地を得、次第に被害範囲をエスカレートさせることが多いからである。

いじめへの対処(例)
いじめの対処における基本的な認識や失敗とされる例
いじめに対処するにあたり、まず必ず認識するべきことがある。それは、『いじめは、いじめられる側には一切の落ち度や問題がなく、いじめる側に一方的かつ全ての問題がある』ということである。『いじめられる側にも原因がある』というのはいじめた側が自己正当化のためにしばしば利用する常套句であり、不当な言い訳に過ぎない。しかし、万が一いじめられる側に何らかの問題があったとしてもそれを口実にいじめを行うという事は決して許されない。相手の人物に何かしらの問題があるのであれば直接対話や法制度を利用した解決等を選択すればよく、いじめを行う正当な理由には断じて当たらない。個人的理由による私刑は既存の司法制度に対する重大な挑戦であり、わが国に於いては決して許されない犯罪行為である。

また、いじめる側でもいじめられる側でもなかった人が、いじめる側に「いじめは止めよう」と言ったら今度はその人がいじめのターゲットになった、という話も存在する。

次に、いじめに対処するにあたり、大概失敗する例も挙げる。特に学生時代のいじめに多いのだが、いじめた側を家に呼んだり集めたり、直談判する形で直接いじめを止めるように注意したり説得したりするのはこれまでの例からしても逆効果であるということを認識するべきである。あまり詳しい理由は判明していないが、大体のケースでいじめを止めさせることに失敗するか、いじめをエスカレートの方向へ導いていってしまう。ただし、いじめをする者の親などに直接交渉し、改善が見られない場合は警察等法執行機関に訴える、という旨の交渉は効果があることが多い。

その場での対処
「その場その場の対処がいじめ封じ込めの極意」という意見がある。 その場で苛める本人に「それはいじめで良くない」と理由もつけて礼儀正しく明確に反論する。 相手を怒らせないように礼儀正しく、相手が食い下がらないよう明確に理由も言う。

その場で交渉が成立しても、その後も相手が(隠れたところでも)悪口・妨害行為を行う可能性があれば、周囲の信頼できる人に状況を話し「迅速に相手の攻撃を封じ込めるように」依頼しておく。

ただし、相手によっては対話による解決が不可能な場合もあることを認識しておく必要がある。

法的対処
法的手続きに入る場合は、まず、証拠を用意する。法社会では、犯行を証明する証拠がなければ誰も相手にしない。証拠は、

医者に行き、診断書をとる(怪我の模様など)
犯行の模様を収録したメディア媒体
日々のいじめの模様(日記に書いておけば証拠力がある)
などの形でその場その場で得てもいいし、

電話などで犯行を認めさせる会話内容を録音する
メールで内容を認めさせる
カメラのある部屋へ誘導し、状況を録画する
マイクを用意し、犯行を認めさせる会話内容を録音する
犯行の内容を認める内容を併記の上、謝罪文を書かせる
などの形でなら事後でもとれる。

証拠を用意できたら、その証拠を持って、学校・職場などの公式の担当者に相談する。 証拠があれば、担当者は、証拠を提示しながら、苛める人間に「いじめをやめる」ように指導できるし、被害者が頼めば加害者から書面で「二度と苛めない」旨を約束させる可能性もでる。

証拠をつきつけても学校・職場などの担当者が開き直るか放置する場合は、担当者は実行犯と共犯である。 証拠をもって、警察・人権擁護委員会に対処を相談する。

最終的対処としては、転校・転職などでそのような要注意学校(企業)を選択しないことも、賢明な解決方法である。 なぜなら、そこでは過去ずっとそのようなことが行われていたかもしれないし、それは氷山の一角かもしれない。

近代市民社会の市民として市民の権利を擁護する行動をとる勇気があれば、証拠を用意して、市民に対する犯罪行為・人権侵害に対して適正に厳重に対処すべきである。 その場合は、あらかじめ新たな転校先・転職先に落ち着き、自分の人生と自分の将来の確保を忘れないことが必須である。

アフターケア
悪辣かつ長期化したいじめの場合、被害者の心の傷は深く、性格そのものが変容する場合がある。深刻な心理的虐待・身体的虐待・性的虐待を受けたあとでは、いじめそのものが解消したあとでも、本人のみではケアが困難となる。その場合には、精神科医やカウンセラーに相談することも重要である。

日本におけるいじめ対策の現状と課題
加害者側が『被害者側にもいじめられる要因がある』等と主張する場合も多い。とはいえ、いじめの具体的内容については強要・恐喝・窃盗・名誉毀損・暴行・傷害・逮捕監禁から殺人に至るまで明白な刑事犯罪を構成する場合が少なからず見受けられ、加害者の行動は犯罪行為である事に変わりは無い。結局のところ被害者にとって最も有効な手段は、弁護士に協力してもらう等して十分な事前準備をした上で司法の手を借りる事であると考えられている。

学校でのいじめについて言えば、教師が懸命に取り組み加害者を追及して被害者に謝罪させても、その場のうわべだけ謝罪しただけで、学校の外で新たな手口を考案していじめを続けるケースが多く問題の根は深い。また学校側も情報公開を渋るケースが多く、現在の統計で分かっている以上にいじめは多いと考える者もいる。

これについて日本でも文部科学省が採用に向けて動き出しているゼロ・トレランス方式やイギリスの学校のように学校の内外に監視カメラを取り付けるなどの対策をすべきだという意見を唱える者もいる。

子供の頃に読む昔話などの本で悪者は殺される「勧善懲悪」の内容を1990年代から多くの出版社が子供には残酷だとの理由で改作・もしくは除外する形をとる、いわゆる「臭い物に蓋をする」内容を打ち出してきたことが「悪いことをしても簡単に許される」に繋がり、いじめを助長するのではないかと考える識者もいる。例を挙げると「さるかに合戦」では、元々サルに親を殺されたカニが仲間の助けを借りて仇を討つ話であるのに、永岡書店を始め多くの出版社が、話の最後をサルとカニが和解する話にしている。


いじめについての言葉・ことわざ
弱い者いじめ(よわいものいじめ)
近代民主主義社会では、強者は弱者を保護すべき立場にある。いじめとは、強者が弱者に対して迫害行為を行うことであり、卑怯であると、いじめという行為を戒める言葉として用いうる。
判官贔屓(ほうがんびいき)
強い者よりも弱い者、不幸な者の方が世間から同情され、ひいきされる。
けんか両成敗
苛められた者は時に、報復として「仕返し」で対抗することがあるが、いじめが長期化して苛められた側のストレスが鬱積している場合、時にそれは過剰なまでの行動を起こさせる。しかし、強者と弱者が争えば、強者が勝つのが自明である。弱者の強者への報復は、時には周囲を巻き込む集団自殺に等しい。歌舞伎の「忠臣蔵」のように、お家断絶・全員失業・全員討ち死になど、悲劇に終わることも多い。
出る杭は打たれる
個性的な者・正論を述べる者・異論を述べる者が苛められるさま。統一主義・画一主義を是とする考え(集団主義)が、いじめを助長している場合もしばしばある。
坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い
誰かを憎むようになると、直接憎むような理由が無くても、関連するもの全てを憎く感じる。
  ドラえもんで言う所の「のび太のくせに生意気だ」の論理。

いじめを題材とした作品
いじめ、いじめられっ子を題材とした作品は多数ある。最近ではいじめ防止の意味を込めた作品が主だが、以前は現在だと罪になったり大きな問題になるような行為を描写した作品も多い。また児童誌・少年漫画はサブキャラに必ず一人成長するいじめられる登場人物がいることが多い(真に迫るものは少ないのでここでは省く)また最近の過激な表現のある青年漫画などはそのような背景を持った登場人物が多い。少女漫画・レディースコミックもほぼ全ていじめが登場するが、ここでは省く(女性同士の男性の取り合いはどこまでがいじめに当てはまるか微妙な為)
タグ:いじめ
posted by 塾長 at 15:39 | 日記

総合的な学習の時間

総合的な学習の時間(そうごうてきながくしゅうのじかん)は、児童、生徒が自発的に横断的・総合的な課題学習を行う時間である。学習指導要領が適用される学校のすべて(小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、盲学校、聾学校、養護学校)で2000年(平成12年)から段階的に始められた。総合学習(そうごうがくしゅう)ともいわれる。なお、総合的な学習の時間とは、教育課程においての時間種別を表す用語であり、各学校における総合的な学習の時間の名称は、各学校が独自に定めることになっている。

この時間は、国際化や情報化をはじめとする社会の変化をふまえ、子どもの自ら学び自ら考える力などの全人的な生きる力の育成をめざし、教科などの枠を越えた横断的・総合的な学習を行うために生まれ、ゆとり教育と密接な関連性を持っている。特徴としては、体験学習や問題解決学習の重視、学校・家庭・地域の連携を掲げていることである。内容としては、国際理解、情報、環境、福祉・健康などが学習指導要領で例示されている。

総合的な学習の時間の趣旨とねらい
総合的な学習の時間の趣旨とねらいは、小学校の場合、小学校学習指導要領に次の通り定められている。そのほかの学校もだいたいこれと同様の趣旨とねらいが掲げられている。

「趣旨」

総合的な学習の時間においては、各学校は、地域や学校、児童の実態等に応じて、横断的・総合的な学習や児童の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育活動を行うものとする。
「ねらい」

自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。
各教科、道徳及び特別活動で身に付けた知識や技能等を相互に関連付け、学習や生活において生かし、それらが総合的に働くようにすること。

総合的な学習の時間の意義
一部の保護者は、こどもの学力が低下した原因を学校に求め、そのような声も無視できなくなっている。このような中、総合的な学習の時間にも批判的な意見が唱えられ、総合的な学習の時間の方向性を考える上での混乱も生じている。学力低下は、形式的な学力を第一に捉えてしまう風潮も一因といわれ、このような風潮は、家庭の教育力の低下や保護者によるこどもの身体と心の発達の関係性の軽視にもつながっているという見解がある。また、身近な大人と十分なコミュニケーションを取ることを軽視した早期教育もなされ、こどもに多様な体験をさせる機会が少なくなってきているともいわれる。家庭生活という基盤のないところに、充実した学力を身に着けさせるのは難しいといわれ、このような状況は、学校現場を中心に懸念されている。

総合的な学習の時間においては、非常に優れた学習活動が展開できる。教科で学んだことを発展させた内容を学ぶ、または総合的な学習の時間で概要を学んだ後に各教科で詳しく学ぶなどの形態によって、さまざまな活動を有機的に結びつけることが可能である。また、課題学習においては、個人の力と集団内の総合的なフィードバックがあり、学習の意義を非常に高め合うことができる。こどもの学力は、今後の各教員や保護者の取り組み次第で上昇する余地があり、総合的な学習の時間は、教員や保護者がこどもに必要なものを考える上でも注目されている。

総合的な学習の時間の実情
週3時間程度の総合的な学習の時間は、各学校間での格差が顕著である。学習計画・教育計画を十分にたてていれば学習者にとって有意義な活動となりうるが、校区探索、地域の人などに安易に講話を依頼しまかせきりにすることも少なくない。最近では、総合的な学習の時間を学校外部者に対して突発的にまかせることを禁止している教育委員会も存在する。

それで、書籍やビデオを探す調べるという、調べ学習と呼ばれる学習形態が多くなってきているが、学習者の中には図鑑や百科事典を丸写ししたり、インターネットの検索エンジンで探して出てきたものをそのまま写して発表する程度の活動にとどまってしまう者もいる。 このような活動では、多教科との関連や未知なるものへの探求や理解という総合学習のねらいとかけはなれてくる恐れもある。これは、児童・生徒が活動内容に対して経験が不足しているために本来の目的が達成できないことや、教員が学習者の興味関心の広がりに対応できないことなどが原因である。加えて、総合的な学習の時間は非常に高度な活動を行うものであり、小学校中学年には難しいという指摘も根強い。いずれにしても教員がみずから学び続けなくては総合的な学習の時間の成功は難しい。

また、研究熱心な教員は、計画を綿密に立てすぎて、学習者を計画という枠へはめこんでしまうことも起こりうる。さらに研究開発学校であっても独自の実践案をなかなか生み出せないため、ほかの都道府県の実践をそのまま真似たり、業者に外注することもあるといわれている。


学校での展開方法として、学年ごとにまとまって活動する方法や、学年の枠によらない「縦割り」のグループで活動する方法がある。後者の場合、教員ごとに独立した講座を開講し、学習者を希望の講座に割り当てる方法(講座制)などがある。

但し講座制の場合、特定の講座に希望者が偏ることを想定し、例えば希望の講座を第3希望まで選択させ、希望の分布に応じて割り当てを調整する方法が採られる。この場合、必ずしも第1希望に割り当てられるとは限らず、また希望とは異なる講座に割り当てられる可能性も否定できない。
基本的に教員一人でひとつの講座を担当するため、従来の教科教育に加えて負担が増す傾向にある。そのため負担軽減の方法として、外部の専門家を特別非常勤講師として招き講義に厚味を持たせる場合や、過去に実施された講座を受け継ぐ(自分の講座の場合は前年度の内容を繰り返す)方法を採る場合がある。このようなシステムを採る学校においては、教員の専門分野における深い知識や企画力などが求められ、また専門家に任せ切りにしないなど、担当講座に対する責任意識、前年度実績に対する改善など創意工夫が求められる。

学習内容の例

総合科学的な学習と生涯学習
京都府京都市のある研究開発学校では、日本における全国的な実施に先駆けて総合的な学習を吟味してきたが、週3時間の総合的な学習の時間を最大限に有効活用するために、個性的な取り組みをしている。 各学年における総合(総合科学)的な学習内容と、第3学年から第6学年まで一貫した生涯に生かせる学習内容の双方を、それぞれ「A」と「B」に分けて次のように設ける形をとっている。

A
第3学年「地域社会の昔と今」(地域に目を向ける)
第4学年「すべての人にやさしい地域社会に向けて」(障害者・健常者両者にとって暮らしやすい社会とは)
第5学年「生命を考える」(生命に対する畏敬、食を考える、出産、育児を考える、自分の体を考える)
第6学年「世界にはばたく人に」(世界の国々、日本に来る外国人との交流、さまざまな世界への日本の支援)
B 情報、英語、福祉
年間あたり10校時ずつ学年の実態に合わせて教育課程を独自に組んでいる。小学校においての英語教育も行われている。教員が教材を吟味し準備した上で英語を母語とする講師に工夫してもらい、効果を得ている。日本以外の諸国で使用しているのと同じ教育図書を使用しているのもあり、月に1度の授業でも、子どもの能力を最大限に引き出すことができる。子どもは「将来外国に行きたい」「職業は英語をいかしたものにつきたい」「尋ねられたら、道をおしえてあげたい」と自発的な希望を述べ、コミュニケーション主体の学習の成果を表現している。
総合的な学習の時間は、小学校第3学年から始まるが、この研究指定校では、第1学年、第2学年の生活科の単元を第3学年以上の学年の学習と系統立てて取り組みを進めている。特にB領域の英語に到達するまでの前段階として、近くに住む留学生からのボランティアを招いて、その国に伝わる遊びを教えてもらったり、給食時に歓談したりしながら人と人との交流を行っている。コミュニケーション力の育成は言葉よりも行動といわれる。地域から学校への評議も活発であり、地域住民による教育支援団体の設立が行われるなど、教育が地域交流を円滑にする機動力になっているとも考えることができ、非常に好ましい例となっている。

人間の総合的な理解
以上とは別の京都府京都市の学校では、もともと総合的な学習の時間が始まるだいぶ前から教科外の時間において取り組んできた、人権を考える学習などを総合的な学習の時間におきかえている。かつては、授業時間のやりくりに苦労があったが、総合的な学習の時間として確保されてからは、教育活動を行いやすくなったといわれる。人権教育、国際理解教育、性教育などを学校独自に年間10校時の教育課程を組んで行っている。視覚的な資料を使って導入を試み、最終的には教員の考えを参考にして、子ども自身が人間としてあるべき姿を模索していくことが望ましいとされている。

性教育の分野については、子どもが帰宅後、その日の学習を元に、保護者といろいろなことを話すことが期待されるが、まだまだ分野的に未開発であり、低学年から生殖を生物学的に教えることなどについて保護者から驚きの声があがることもあり、十分に普及したものとはなっていない。性教育分野の学習目標については、子どもたちが自分がどれだけ大切に育てられてきたか(一例として、子どもたちの家庭事情に十分配慮した上で、子どもに対して保護者に話してもらうことなど)、そして自分が将来保護者になることを想定して男女がいたわりを持って家庭を築き、生活を構築することができるような社会の一員となることの大切さが分かることとされている。

各教科との連携例
各教科では、あらかじめ学習指導要領に学習目標や学習内容が定められているため、扱える教材の範囲には限界がある。例えば、人類文化を知るために世界の多様な文化遺産について触れようとしても、授業内で扱われるのは一部のものだけである。総合的な学習の時間では、各学校が学習目標や学習内容を定めるため、学習者の実態に応じた教材を扱うことが可能であり、学習者は各教科で学習したことをさらに探求することができる。

国語科との連携
国語の授業自体も読み取りに何時間もかけるやり方は現在は行われず、話の大筋を理解させた後は、登場人物の会話を学級内で考えてみたり、物語をペープサートや紙芝居などを使って演じたりする。最近は、絵を描くこともあるが、丁寧に指導しないと描くことができなかったり、嫌になると描くのをやめてしまったりすることが少なくない。保護者が完璧性を求めるためか、学習者は、ほめられた経験が少ないと考えられている。国語の物語の発展的な扱いとして、物語の英語版を読み、まず音声に親しむ。次に英文を簡単に翻訳するが、登場人物の心情などは、学習者の年齢に合わせて、状況に応じた親しみやすい子どもらしい訳にした方が良いとされている。例えば、小学校第2学年の教科書に掲載が多い、アーノルド・ローベルの『お手紙』では、2匹のかえるの友情について、「がまくんとかえるくんが7歳だったとしたら」の訳を考えて、訳者としての創造性の可能性を吟味して行う。
社会科との連携
検地刀狩や関所などが税制の基礎と安全社会の樹立に寄与したかを調べ学習などを通じて学習することで、日本社会とその安全性について考えることができる。
また、宗教による価値観の相違を知ることは、現代社会で異文化を理解していくのに必要なことであるが、このようなことについても、国際理解教育などで調べたことをもとに学習者が考えていくことで、特定の宗教のための宗教教育を行うことなしに学習することができる。
家庭科との連携
ボヘミアンビーズとベネチアンビーズを見比べて色の発色の違いは温度と資材の声質(石英のまざりぐあい)、女性熟練工の存在から結婚してからも働き続けることの魅力を小さいうちから知る。

学習内容の停滞
総合的な学習の時間における学習内容に停滞が見られることがある。

例えば、総合的な学習の時間で情報教育を行うときは、コンピュータの操作を学習するだけに留まってしまうことも多い。情報教育には、コンピュータ操作を学習することのほかにもさまざまな学習が含まれる。具体例としては、例えば次のような事項があげられる。

現代社会の動静を方向付ける情報技術 (IT) としてコンピュータなどがあること。
コンピュータなどの情報技術 (IT) の研究・開発・発展などの経緯、情報化に対して貢献した研究者や企業家の功績などの人物の存在という情報の歴史があること。
BASICや機械語などの人工言語(コンピュータ言語)が存在することや、簡単なコンピュータゲームなどのプログラムを自分自身で動かすことで、人間の作業によって情報環境が整えられることを理解すること。
情報機器を用いれば簡単にデータや情報の利用・複製・改変などができるが、多くの文章・音楽・絵画・映像などの作品(著作物)には知的財産権があり、人の作品を自分の作品のように扱ってはならないこと。
インターネットなどのコンピュータ・ネットワークによって多くの人と高速にやりとりができるが、見知らぬ人々とのコミュニケーションの難しさや即座に応答が求められることが負担にもなること。
情報教育を行う場合は、これらの事項を含めた幅広い内容が学習されることが望ましい。

情報教育に限らず、総合的な学習の時間で多様な内容を扱うことは、高度な学習に対する指導力の不足、各領域の趣旨に対する理解の不足、学習目標の設定に対する意見の違いなどが運営する教員にあって、難しいことがある。また、総合的な学習の時間が持つ特徴としては、教科の時間とは異なる概念の特別な時間であること、さまざまな教育活動で学んだことが総合的に生かされなければならないこと、主体的な活動が行われるよう学習者の興味・関心に応じた内容とする必要があることなどがある。このため、教員には高度な技量が必要とされ、また学習者に対しても十分な指導が必要とされている。そのため、学習内容を簡素化することで教員の負担を減らしてその分を学習者へのきめ細かい充実した学習指導に充てようとする考え方もあるが、あまりにも内容を簡単にし過ぎると学習者を飽きさせ、総合的な学習の時間の魅力をなくしてしまう恐れもあるので注意が必要である。

総合的な学習の時間を行う上で、教員の自己探求力と高度な技術を培う自己研修は、常に必要であるといわれる。高度な教材研究と社会における課題を探る力は、教員自身が積極的に研修や社会見学などに参加することを通じて、楽しみながら自発的な活動をすることから生じるといわれている。
posted by 塾長 at 15:33 | 日記

慶應

慶應義塾大学(けいおうぎじゅくだいがく、英称:Keio University)は、東京都港区三田2-15-45に本部を置く日本の私立大学である。1920年に設置された。大学の略称は慶大および慶應。

慶應義塾の目的
慶應義塾には「慶應義塾の目的」という文章が伝わっている。これは1896年11月1日に芝・紅葉館で開催された懐旧会(慶應義塾出身者との懇親会)で行われた福沢諭吉の演説を元に福沢自身が書き直したものである。内容は以下の通り。

慶應義塾は単に一所の学塾として
自から甘んずるを得ず其目的は我日本国中に
於ける気品の泉源智徳の模範たらんことを
期し之を実際にしては居家処世立国の
本旨を明にして之を口に言ふのみにあらず躬行
実践以て全社会の先導者たらんことを欲する
ものなり 以上は曾て人に語りし
所の一節なり 福澤諭吉書 学ぶ内容は、基本的にいわゆる「実学的」であるとされている、つまり、実世界で役に立つような学問に重きを置く風潮が強いとされる。-->

学生生活
園遊会
学位授与式の後に慶應義塾大学が主催して同大学の卒業生を対象に園遊会という卒業パーティーが開催されている。パーティで行われている抽選大会は毎年通例として1等商品が高級外車である。こうした豪華な景品を出すことについて、卒業生や大学教職員の間から「学生に対してそのような豪華な景品はいかがなものだろうか」という批判的な声が上がっているが、2006年現在も続いている。2006年現在、会費は2万円強で参加は任意である。


学園祭
各キャンパスごとに、三田祭 (三田キャンパス)、四谷祭 (信濃町キャンパス)、矢上祭 (矢上キャンパス)、七夕祭 (湘南藤沢キャンパス)、秋祭 (湘南藤沢キャンパス)が開催されている。

このうち、三田祭が最大規模であり、他キャンパスの学生の参加も多い。慶應義塾大学が公式に「学園祭」としているのは、正確には三田祭のみである。その他のキャンパスごとのイベントは有志によるものに過ぎないとされているが、実質的には「学園祭」として認知されており、慶應義塾大学の受験生向けパンフレットなどにも紹介されている。

なお、日吉キャンパスで行われる日吉祭は慶應義塾高等学校の文化祭である。

三田祭
三田祭は、毎年11月23日前後に行われる。前夜祭が行われることがあり(前夜祭は日吉キャンパスで行われることがほとんど)、有名人のコンサートが行われることがある。三田祭のイベントとして行われるミスコンテストの優勝者『ミス慶應』は女子アナやタレントになることが多く、芸能関係者の間では有名である。なお、学校法人慶應義塾では三田祭の規模は日本国内最大であると考えており、大学案内などの広報資料でもそのように謳っている。 このように華やかさが強調されて紹介されることが多い三田祭であるが、三田祭発表として論文発表なども行われている。

スポーツ
野球部は東京六大学野球連盟に加盟しており、慶早戦(早慶戦)は大学野球ファンの間では著名。
箱根駅伝では、1932年に優勝している。
ラグビー部は慶應義塾體育會蹴球部が正式名称である。関東大学ラグビー対抗戦グループに所属している。

大学関係者と組織

大学関係者組織
在学生を「塾生」、卒業生を「塾員」、学生・卒業生・教員などの関係者を総称して「社中 (または義塾社中)」と呼ぶ習慣がある。なお、慶應義塾において先生は福澤諭吉先生ただ一人であるため、教員に対して「先生」ではなく「〜君」の呼称を用いるという慣習もある。

慶應義塾における「塾長」とは、慶應義塾大学の学長と学校法人慶應義塾の理事長を兼ねており、慶應義塾内で学長や理事長と言った呼称が使われることはほとんどない。

三田会
三田会(みたかい)は慶應義塾大学の卒業生による同窓組織。現在各種三田会総数は865団体あり、約28万人の塾員の多くがこうした三田会に所属している。数多くある三田会のうち、代表的なものは次のとおりである。

年度三田会(73団体)
いわゆる「同期会」に相当するもので、同年卒業生の塾員で構成され、大学卒業と同時に入会する。この三田会最大のイベントは、卒業25年目にその年の卒業式に、50年目に入学式に招待されること。つまり慶應を卒業すると、一生のうちに2度入学式・卒業式を経験することができる。

地域三田会(国内231団体・海外57団体)
各地域ごとの塾員で結成される三田会。

職域三田会(308団体)
三田法曹会、公認会計士三田会、ホテル三田会や会社ごとの三田会など、同じ職種や職場の塾員によって組織される三田会。

これらを統括するのは、連合三田会と呼ばれる団体である。また、毎年10月ごろには三田会大会が開催される。塾員の交流を目的としたもので、今年は10月15日に行われる。
タグ:慶應
posted by 塾長 at 04:27 | 日記

早稲田

早稲田中学校・高等学校(わせだちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都新宿区馬場下町にある私立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。

概要
中高合わせて全6学年の構成であり、その1学年の生徒数は約300名前後である。卒業生の約3分の1が推薦入学制度を利用して早稲田大学へ進学する(定員枠は約2分の1で、学外進学を目指す者も多い)。しかし元来進学校としての性格が強く、早稲田大学系属化後もその基本路線は変わっていない。上述の如く、早稲田中学校・高等学校は古くからの進学校としての歴史を有しており、同様に中学受験が大衆化する以前の遥か昔(戦後の新学制発足時)から中高一貫体制を敷いた麻布・武蔵・開成・芝・暁星・桐朋とともに都内私立の老舗名門校として知られている。また、明治時代の私立全盛期においては、一高合格者数でベスト10内に入ってもいた。

現在も推薦入学者を含む大学進学率はほぼ100%であるが、現役合格率は推薦入学者を含めて7割程度である。2006年度の東京大学合格者は15人と前年度のほぼ3倍であり、国公立大学へ進学する生徒が増えている。古くより「東洋のイートン校」を標榜しており、創設当初より、東京専門学校(早稲田大学)の理念「学問の独立」に対置(前置)される「人格の独立」を掲げた教育を実践している。

麻布中学校・高等学校や武蔵中学校・高等学校ほどではないが、リベラルな校風であり、学園紛争時には逮捕者を出したこともある。しかし、最近は今の若者の傾向を受けて、リベラルさが失われてきている。

教員は早稲田大学出身者が多く、労働組合を結成して(全日本教職員組合系)、ユニオンシップ制をとっており、組合活動に熱心である。そのためか若い教員(特に20代)は少ない。また非常勤講師の数も多い。

沿革
1895年に坪内逍遥・市島謙吉・金子馬治ら早大関係者と大隈重信の尽力によって早稲田中学校として開校。当時まだ早稲田大学は前身の東京専門学校であり、「早稲田」と称したのは先であった。一年制の高等予備学校が存在し、萩原朔太郎も在学した。敗戦直後、早大の附属校とすべく生徒・保護者・若手の教職員らが運動を起こしたが、伝統と独立を重んじる理事会と教職員らによって鎮静化される。学制改革を経て、早稲田大学高等学院及び1901年に当校と東京専門学校の有志教員により計画され、本校敷地内に建設された早稲田実業学校とは別の路線を歩むことになる。1979年4月から事務所職員が3億円の持ち逃げをしたことにより早稲田大学の系属校となり、1982年卒業生の早大への推薦入学を開始。推薦枠は学部ごとに決まっていて、その合計は約50名だった(当時の卒業生は約350名)。推薦制度は他大の附属・係属10校の訪問調査と同志社・立命館・甲南などへのアンケート調査、進学の実態分析などを経て構成された。早大側の学部再編や定員枠の増幅により、幾度か制度要項が改訂され、現在のものとなっている。1993年度から高等学校の募集を停止した。



大隈ガーデン「オープン教育」プログラムにより、他学部や他の教育機関における「オープン科目」の中から卒業単位として48/124単位まで選択が可能。利用可能な他の教育機関としては、f-Campus、武蔵野美術大学、東京家政大学、東京女子医科大学、京都地域48大学/短期大学、同志社大学への国内留学プログラム、100を超える海外協力大学への1年間の海外留学プログラムなどがある。

特色ある大学教育支援プログラム
国境を越える教育的社会貢献活動の実践-行動する国際人の育成
実践的知の確立を目指す現代型教養教育─総合大学からの試み─

学生生活

グランド坂
サークル活動
早稲田大学では、大学自ら「日本一である」と自称する程活発なサークル活動が行われている。2006年現在、大学公認のサークル団体は700以上あり、また非公認ながら「早稲田大学のサークル」を自認し活動するサークルも多数存在する。

大学の公認を得た団体は、学生会館に部室が与えられる・活動補助金を受け取れる・新歓期に出店を設けるスペースが優先的に割り振られる・サークル名義で大学の各種施設を使用できる、といった待遇を受けられるが、会長となる教職員を確保した上で構成員が21人以上・詳細な会計報告を行うといった条件を毎年満たす必要があり、認定基準はそれなりに厳しい。そのような事情もあり、非公認のまま活動するサークルの数が多くなっている。その正確な数は不明だが、2000、或は3000以上とする推計もある(ただし、学外での活動を主とするサークルや活動実績のないサークルも多く含まれ、大学側でも数は把握しきれていない)。「公認」の後ろ盾は無くとも学生活動の一翼を担っていることは間違いなく、「日本一」という認識はそういった状況も踏まえてのものである。また、数多くあるサークルから目的のサークルを探す手段として、『ワセクラ』『マイルストーン』といった学生が発行する情報誌が存在する。

百キロハイク
毎年5月に埼玉県の本庄から所沢キャンパスを経由し大隈講堂まで2日かけて歩く「百キロハイク」(通称百ハイ)というイベントが開催される。大学の広報誌にも掲載されているが、主催は早稲田精神昂揚会というサークルであり、大学主催イベントではない。学内の各種サークルのメンバーを中心に例年多くの学生が参加する。奇抜な服装で参加する学生も多く、それぞれのサークルごとに衣装をそろえてくるなどの特色がある。

早稲田大学雄弁会
弁論サークル。出身者には、多くの首相経験者や国会議員がいる。その同窓会が行われるとマスメディアによって報道されたりもするが、あくまで学生主体の団体であり、同窓組織や大学本部直轄の組織ではない。

早稲田大学仏教青年会
1886年創立、早大最古の学生サークル。学生・院生のほか、教職員にも会員を持つ。活動はしばしば寺院関係雑誌等で取り上げれられる。

文化団体連合会
文化理論戦線を標榜し、学生自治を重んじるサークル連合。文化系の各種サークルにより構成されるが、加入は任意。執行部はマルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派に握られているため、敬遠する学生も多い。主要構成サークルである早稲田大学新聞会が公認を取り消されるなど、現在大学側との対立が強まっている。


学園祭
学園祭の名称は早稲田祭である。通例、11月上旬に二日間にわたり西早稲田キャンパスを中心に実施される。終了後、新宿の歌舞伎町で大騒ぎする早稲田大学の学生の姿は有名であった。

主催は、早稲田祭実行委員会。大学本部が補助金を出して運営されてきたが、補助金では不足があるとして、いわゆるプログラム強制販売が行われ、運営資金に充てられた。しかし、日本共産党=日本民主青年同盟(民青)を中心に、マルクス主義学生同盟革命的マルクス主義派(革マル派)にプログラムの収益が流用されているとの疑惑が大学本部より投げかけられてきた。

1993年、革マル派が執行部を握る商学部学生自治会が大学本部から公認を取り消されると、それまで革マル派を規制できなかった当局が一挙に攻勢を強め、1997年には、革マル派系と見做されたサークルの公認を取り消すとともに、早稲田祭実行委員会が革マル派の牙城になっていると認定し、同年から早稲田祭を中止した。従って、この時期に早稲田大学に入学した者は、早稲田祭を知らない。

その後、ノンポリを条件に2002年、早稲田祭を企画・運営する学生団体、早稲田祭運営スタッフが新しく発足した。大学関係者は、早稲田祭が純粋な学生文化の発信の場として、今後発展していくことが望んでいるようである。ただ、早稲田大学関係者の間では「1980年代には既にノンポリ化していた他大学の大学祭が価値基準を喪失したメインテーマしか打ち出せなくなっていたのに比べ、革マル派主導の早稲田祭は、社会主義の犯罪を正面から問うなど、社会に目を向けようとしない現代の学生に警鐘を鳴らしていた側面も否定できない」という意見もある。

また、大久保キャンパスでは早稲田祭の前日・当日の三日間にわたり「理工展」と呼ばれる小規模な学園祭が開かれる。主に理工系のサークルや理工学術院の教員、研究室などが出展し、開催される週は準備期間として理工学部の授業は休講となる(その代わり、夏休みが他学部より短い)。ただし、早稲田祭と比べると知名度は遥かに劣り、人出も比べ物にならない。なお、こちらは「理工展連絡会」というサークル団体が運営に当たっている。


スポーツ
早稲田大学野球部は東京六大学野球連盟に所属。早慶戦は日本国内の大学野球ファンの間では有名。
漕艇部が毎年春に出場する早慶レガッタは、世界三大レガッタに数えられている。
応援部は、リーダー、吹奏楽団、チアリーダーズの3パートによって成り立っており、東京六大学野球連盟リーグ戦における応援・学生誘導や東京六大学応援団連盟主催「六旗の下に」に参加している。プロ野球で使用されている応援歌には応援部発祥のものが存在している。

ラグビー蹴球部
ラグビー蹴球部(らぐびーしゅうきゅうぶ、Waseda University Rugby Football Club)は、関東大学ラグビー対抗戦グループに所属するラグビーチーム。1918年11月7日、創部。日本で4番目のラグビーチームであった。(創部当時の名称は「早稲田大学蹴球部」)

1927年、オーストラリア遠征を実施し、その後のチームの礎となる「ゆさぶり戦法」を編み出す。1969年〜1977年には、関東大学対抗戦で60連勝を達成。黄金期を迎えた。ラグビー評論家の間では、バックス中心の展開ラグビーは「横の早稲田」と言われることが多い。2006年、日本選手権にて大学勢としては18年ぶりとなる社会人チームからの勝利を得た。2006年現在、関東大学ラグビー対抗戦グループ史上最多となる5連覇中である。また、全国大学ラグビーフットボール選手権大会2連覇中でもある。

2006年現在、関東大学ラグビー対抗戦の優勝は30回、全国大学ラグビーフットボール選手権大会の優勝は13回、日本ラグビーフットボール選手権大会の優勝は4回である。また、早明戦はラグビーファンにとって欠かせない伝統行事となっている。

ア式蹴球部(あしきしゅうきゅうぶ、Waseda University Association Football Club)は、サッカークラブである。ア式蹴球とはアソシエーション式フットボールの略で、サッカーのこと。他の大学では蹴球といえばサッカーの事であるが、前節にも説明があるとおり、早稲田大学ではラグビー部が元々蹴球部と名乗っていた事もあって、サッカー部はア式蹴球部という名称となっている。2006年4月現在、天皇杯優勝3回、全日本大学選手権優勝10回、関東大学サッカーリーグ戦優勝24回の記録を持つ。
タグ:早稲田
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東大寺

東大寺学園は奈良県奈良市にある比較的新興の中高一貫校。東大寺を母体として1926年5月4日開校。当初は勤労青年を対象とした夜間旧制中学だったが、1963年に全日制課程を新設し現校名に改称、1977年を最後に定時制課程を休止し全日制のみとなる。

なお、関係者は前身が定時制中学であったことを公言してはばからないが、実際、現在ある「東大寺学園」は定時制とは別に、まっさらに作られた新しい全日制の学校が存続している物である。

奈良県の北の端、高の原駅が最寄駅であるが、徒歩20分程度を要する。通学時間帯のみ、奈良交通バスが運行されるが、多くの生徒は歩いて通っている。隣の平城駅から通学する生徒も少なからずいるが、やはり徒歩20分程度を要する。平城駅を利用するのは、主に近鉄奈良線(生駒・難波方面)から来て、隣の大和西大寺駅で乗り換える生徒のようである。大和西大寺駅から平城駅までは約10分なので、大和西大寺駅から歩くと約30分で到着できる。

日本テレビの「高校生クイズ」で最多の出場回数を記録している(2005年時点で15回)。

大学合格実績
東大寺学園は極めて自由な校風であり、それゆえに同じような学風を求めてあえて京都大学へ進む生徒が多い。東京大学合格者数は30人前後、京都大学合格者数は90人前後と安定している(学年の半数以上が東大京大へ進学)。京都大学への合格率(合格者数÷卒業生数)は近年ずっとトップであり、現役合格率も同様にずっとトップである。また「東京大学・京都大学・その他の国公立大学医学部医学科」への合格者数が150人前後(現役が約100、浪人が約50)に安定している。1学年の生徒数は220人(高校)なので、約7割の生徒が最終的に上記へ進学していることになる。上記への実績を基準としているのは、医学科以外の京都大学へ合格できる学力をもった生徒が、医者を志望してその他の国公立大学の医学科へ進むケースが増え、実際の学力水準がそのまま東大・京大の合格者数に反映されなくなってきたためである。


概要
制服の着用義務がない(私服通学)ほか、明文化された校則を有せず、風紀について大部分を生徒の良識に委ねるなど、自由な校風を特徴とする。生徒手帳が無く、代わりに生徒証という三つ折のカードがある。仏教系の学校では珍しく、設立当初から宗教教育が全く行われていない。現在は入学式・卒業式の際に東大寺の僧が挨拶に来る程度であり、それらしきものとしては旧校舎時代、登校時に大仏殿に向かって一礼するのが慣習だったのみである。当初校舎は東大寺境内(南大門の横)にあり、狭く運動場も借用だったが(日本一狭い中高、と自嘲する教師もいた)、生徒の自主性を育む指導は高い評価を得、文部省の官僚が時たま視察にきた。「学校の価値というのは校地の広さによらない、ということを体現している」との言葉をいただく。校舎を移転した今でも地元の奈良旧市街での人気は根強く、奈良市内通学者のうち相応の割合を占める。毎年5月2日には東大寺で「聖武祭(聖武天皇祭)」が開催され、この日は休校日となっている。高校生はこの行列参加など東大寺関係のアルバイトをすることができる。旧校舎時代の名残か、生徒証を見せると大仏殿をタダで拝観できる。毎年9月には生徒の手で「菁々祭(せいせいさい)」という文化祭が催される(通例第2週の土日)。恒例企画に「Mr.美少女コンテスト(美女コン)」なるものがあり、参加希望生徒が女装してパフォーマンスを行う。最近はOBの講演会が催され、映画監督の高橋伴明や京大医学部出身プロボクサーの川島実、外務省の某氏が招かれている。ほか室内学部の定期演奏会、教師による体験授業、保護者によるお茶会などがあり、通常の来客だけでなく小学生やその保護者も楽しめる内容となっている。クラブ活動も活発で、運動系は多くが毎年近畿大会へ進み、どこかの部が全国大会へ出場している。文化系では百人一首部・囲碁将棋部などが強豪であり、将棋の個人戦では県上位を独占し、近年全国大会でも優勝した。生徒の自由に任せているため、高3までクラブを続ける者もいる。なお最近は伝統のクイズ研究会が同好会からクラブに昇格し、今後の活動が注目される。


沿革
1926年5月4日 金鐘中等学校設立認可
1943年4月28日 金鐘中等学校を金鐘中学校と改称
1947年4月1日 青々中学校設立認可(→現在の東大寺学園中学校)
1948年3月3日 学制改革により金鐘中学校を金鐘高等学校(定時制)と改称
1963年4月1日 全日制高等学校を開設。東大寺学園中学校・高等学校と改称
1974年3月31日 定時制課程を停止
1986年4月1日 東大寺境内にあった旧校舎から、現在の場所に移転

設立の経緯
1947年の学制改革の折、「旧制中学のような新制中学」を求めた市民運動が起源。奈良市立小学校(主に椿井小学校)の父兄が、公立中学校への失望感からスクラムを組んで立ち上げた運動である。この運動に東大寺の清水公照氏(初代校長)が関わっており、東大寺の学僧も協力して、昼間空いている金鐘中学校(翌年金鐘高校)の校舎を使って設立された。当初から入学倍率が高く、またたくまに県内トップ私立中と化した。当初「仮称平城中学校」として募集し、1回生が入学したあと5月に公募の結果を受け「青々(せいせい)中学校」と正式決定した。由来は詩経の「菁々」。これが現在の東大寺学園中学校である。


高校を増設
学校法人金鐘学院は、金鐘高校と青々中学校という、目的も形態も全く異なる学校を経営していた。この2校に接点はあまりなく、それゆえ青々中学校の卒業生はいったん高校受験をし、奈良県立奈良高等学校(ほとんど全員がここへ進学)や奈良女子大学附属高等学校といった県内上位高校を経由して大学へ進学していた。「これではあまりに不便だ」という声が内部から出、「せっかく育てた生徒を他の学校にとられるのは惜しい」といった声もあいまって、青々中学校に高校(仮称青々高校)を増設することになった。これが現在の東大寺学園高校である。この高校はほぼ100%、青々中学校卒業生の受け皿であり、外部からの新規入学は数名のみだった。高校1期生(第14回生)の97名は、卒業時(1966年)に東大1京大7阪大4という実績をだし、以後漸増してゆき現在に至る。


名称を統一
1963年4月、念願の「青々高校(仮称)」ができたわけだが、法人の経営する全ての学校を新名称で統一することになった。結局「東大寺学園」という無難な名前に落ち着き、青々系は「東大寺学園中学校・高校」、金鐘系は「東大寺学園高校定時制」、女学校は「東大寺学園女子学院」、幼稚園は「東大寺学園幼稚園」と一斉に名称統一した。


同窓会
以上のような歴史があるため「東大寺学園高校」の同窓会は「青々中学校」と合同であり、名称は「同窓会菁々」。1回生〜13回生は青々中学校OBで構成、14回生以後は東大寺学園高校OBで構成、というかたちになっている。2005年3月卒業生が53回生であり、会員数は約7500名。「同窓会菁々」以外に「金鐘中等学校」-「東大寺学園高校定時制」のラインの同窓会(約1500名)もあり、別に構成されている。
タグ:東大寺
posted by 塾長 at 04:22 | 日記

灘高校

灘中学校・高等学校(なだちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、兵庫県神戸市東灘区にある私立の中高一貫制男子校である。

1928年開校。設置者は学校法人灘育英会。校舎のうち、事務棟として現在も使用中の本館は国の登録有形文化財に登録されている。

「灘」の字体の中央は、JIS漢字では簡略化されて「難」の偏と同じになっているが、「儺」の中央と同じように書くのが正しい。画面の文字の大きさによっては分かりにくいので、その場合は適宜拡大して見てほしい。

灘地方で酒造業を営む、嘉納治郎右衛門(菊正宗)、嘉納治兵衛(白鶴)、山邑太左衛門(櫻正宗)によって設立された。同様に酒造業者が設立した学校として甲陽学院がある。設立にあたっては白鶴嘉納家の縁戚で、東京高等師範学校(東京高師)校長を務め講道館柔道の創始者でもある嘉納治五郎が顧問として参画し、嘉納治五郎が柔道の精神として唱えた「精力善用」「自他共栄」が校是となった。初代校長は、東京高師の数物化学科を卒業後各地で教職を歴任していた眞田範衞が嘉納治五郎からの要請で就任。眞田は灘校の「教育の方針」を定め、自ら校歌・生徒歌も作詞した。1927年10月24日に設置認可を受け、この日を創立記念日とする。その翌年に開校。

戦後から昭和40年代にかけて徐々に東京大学への進学校として台頭してきた。1968年度東大入試においてそれまでトップの座に君臨してきた東京の日比谷高校を抜き去り、私学では初めて単独での東大合格者数首位の座を掴む。以来、東大合格者数トップ校の一角を占める学校として知られる。

校風
制服の着用義務がないほか、明文化された校則を有せず、風紀について大部分を生徒の良識に委ねるなど、自由な校風を特徴とする。また、設立の経緯から、現在でも中学校及び高校一年次では柔道が全員必修になっている。毎年6月に甲南中学校・高等学校と灘・甲南定期親善試合を催している。いじめやしごき等とは無縁である事は有名である。和田秀樹氏によると、ストレス発散の目的によるいじめはあったというが、周囲の志ある生徒のおかげで大抵は自主解決する。また、生徒をできるだけ紳士として扱おうとしており、サンダル、半ズボン、ランニングシャツなどによる登校は禁止されている。

入学試験
昭和50年代以降、入学難易度は非常に高い。 中学校・高等学校としての難易度(受験予備校等の発表する偏差値に拠る)は、それぞれ最上位群に位置する。 入試では特に算数・数学の難易度が非常に高く、理科も物理・化学分野の計算問題が中心を占めるなど、単なる暗記では到底対処できない出題がなされている。なお、中学の入試には社会が無い。 入学試験結果:2006年度灘中学校入学者183人(倍率3.21)、灘高等学校入学者42人(倍率3.7)

大学進学
現在、日本国内トップクラスの進学校であり、毎年東京大学のみならず京都大学・大阪大学に多数の合格者を出し、私立大学では慶應義塾大学医学部の合格者が多い。

なお、いわゆる進学校と呼ばれる学校の進学実績の比較では、メディアの大半が東京に本拠を置くせいか、あいかわらず東京大学の合格者数のみが注目される傾向にあるが、この学校の特徴として、 京阪神地区の医師の子弟が多いこともあり、東京大学理科三類(医学部医学科進学コース)以外の東京大学各類よりも入試難易度が高いことで知られる国立大学上位校の医学部への進学実績が非常に高い。 東大医学部や京大医学部の合格者の4分の1以上が灘高生によって占められることもある(しかも現役合格の割合が異常に高い)。 理系志向、特に医学部志向が強いこと(2006年度の高校3年生では218人中160人が理系で、うち約70人が医学部志望であるという)、東京大学という「名」を取るよりも、行きたい学部に行くという「実」を取る傾向が強いこと、また、現役生がほとんど私立大学を受験せず、国立大学志向が強いことを特徴とする。

posted by 塾長 at 04:20 | 日記

筑駒

筑波大学附属駒場中学校・高等学校(つくばだいがくふぞくこまばちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都世田谷区池尻にある国立中学校・高等学校。中高一貫制男子校。通称は「筑駒」(つくこま)。

 昭和22年(1947)5月に東京農業教育専門学校の附属中学校(普通課程)として設立された。設立当初から日比谷、西、戸山等の名門都立高校等への進学ぶりで附属中の評判が高まったが、昭和31年(1956)中学入学者からは中高一貫化され、以降、昭和38年(1963)3月には附属高校の東大合格者数が倍増するなど、進学校としての人気・評価が高まり、現在に至る。

 中学入試においては、いわゆる御三家集中日の2月1日ではなく、2月3日に入試が行われることから、御三家と呼ばれる開成、麻布や駒場東邦等との併願者がほとんどであり、中学入試最上位層による激戦の場となり、ここ数年は8倍程度の倍率になっても抽選は行われていないが、以前は倍率が7倍を超えると抽選で第一次選抜がなされていたほどである。 関西の灘と並び中学・高校入試における全国最難関校であり、首都圏では別格の存在としてその名が轟いているが、全国的には他の難関校に比べて知名度の点ではやや劣り、しばしば校名から茨城県の学校と勘違いされることもある。(都内と神奈川の一部からしか出願できない)

 私服校で「駒場の自由」という言葉で語られる自由な校風で知られる。

 各種の活動も盛んで、囲碁、クイズなどではしばしば全国制覇を果たしている。駒場棋院(囲碁部)は、2003~5年に全国大会三連覇を果たしている。数学オリンピックの日本代表として活躍する在校生も多く、2005年度には日本代表6人中5人を在校生が占めた。日本が初参加となった2005年生物学オリンピック北京大会も代表2人のうち1人が在校生で銅メダルを獲得。全国化学コンクールでも多数の入賞者を出し、2005年はスーパーコンピュータのプログラミングを競うスパコンで優勝、3位入賞を果たすなど、各方面で驚異的な成果を挙げている。

 三期制だが、中間考査時に大掛かりなテストはなく、主に期末考査で成績が決定される。成績は、100点満点の得点による絶対評価。

学校行事
学校行事が盛んであり、年間を通じてさまざまな行事が催される。(4月から、日付順)

稲作
中一、高一のみ。明治11年の駒場農学校開校以来、130年の歴史を有する日本農学発祥記念の地「ケルネル田んぼ」において、毎年6月に田植え、10月に稲刈りをする。収穫した米は、入学式の折に赤飯にして、新入生に供される。稲作の様子を幼稚園児などが見学する事もある。
校外学習
5月中旬に2~5日間、中一〜高二が学年ごとに別の場所へ行き、観光や地域研究、学年内での交流などを主な目的とする。
現在の行き先は、中一が妙高高原、中二が東京(宿泊はしない)、中三が東北地方(岩手県・青森県など)、高一が菅平高原、高二が関西地方(京都・奈良)である。中二、中三、高二は総合学習の一環として事前に数人の班でテーマを決めておき、旅行中は各班で関連したところを訪問し、後日レポート提出が求められ、発表会を行う。これを地域研究という。また、この期間中は高三は普段通りに学校で授業を行う。そのため、高二の旅行は修学旅行でもある。
音楽祭
例年6月中旬に主に昭和女子大学の昭和女子大学人見記念講堂を貸し切って開催される合唱コンクール。中学生は課題曲と自由曲の2曲、高校生は自由曲を2曲演奏する。外部から招かれた審査員及び音楽科教諭の決める賞と、一般生徒の投票によって決定される大衆賞の両方がある。
体育祭
9月末に2日間かけて校内にて開催される。通常の学校と違い、オリンピック方式(複数の競技を同時に行う)という、独特の方法が取られている。中学・高校それぞれクラス毎に分かれて得点を競う。
姉妹校である筑波大学附属中学校・高等学校の運動会で行われた騎馬戦にて、下半身不随となる大怪我を負った生徒が発生したので、2005年度からは騎馬戦は中止となった。
芸術鑑賞会
文化祭
11月初旬に3日間かけて校内にて開催される、筑駒最大の行事。外部者も参加できる。中2以上は演劇を行う団体が非常に多く、その全てを一日で見切るのは不可能である。大学受験を控えた高校三年生が中心となって活動し、この行事の終了後から本格的な受験勉強に入る。
例年2日目の夕方から中夜祭が催されているが、2005年度の中夜祭は、学校へ行こう!MAXにて結成・紹介された「筑6(つくしっくす)」というこの学校の学生によるダンスグループが出場することとなった影響で、来場者の増大と、それに伴う事故の発生が危惧されたため、あらかじめ内部生に一人につき数枚配布された入場チケットがないと入場できない方式が取られた。中夜祭以外は、例年通り出入り自由であった。
タグ:筑駒
posted by 塾長 at 04:19 | 日記

開成高校

開成中学校・開成高等学校(かいせいちゅうがっこう・かいせいこうとうがっこう)は東京都荒川区西日暮里に所在し、学校法人開成学園が運営する中高一貫校である。JR山手線・地下鉄千代田線西日暮里駅徒歩1分。私立男子校。

概要
麻布、武蔵とともに御三家の一角を占める。明治以来、旧制一高(現在の東京大学教養課程)の予備門として多数の人材を輩出、戦後も東大合格実績首位の座を長期にわたり維持するなど、各界に有為な人材を送り続けている。高い進学実績とともに、自由闊達・質実剛健な明治以来の校風は有名で、伝統ある運動会・水泳学校・ボートレース・マラソンなどは開成のもう1つの顔として知られている。特に運動会は現役生徒が心血を注ぐ一大イベントで、卒業生や父兄間では「開成といえば運動会」との声は根強い。近年の少子化の中にあっても依然として難易度の高い入学試験が行われているが、あくまでも受験指導の大衆化・ビジネス化とは一線を画し、伝統ある質実剛健の校風のもと新時代を切り開く気骨ある人材の育成が行われている。


沿革
1891年尋常中学校令により、尋常中学共立学校を設立。1919年東京開成中学校と改称。1920年。 1923年に起きた関東大震災により淡路町校舎が焼失し、翌1924年に現在の校地である道灌山に移転。1945年には戦局悪化のため、無試験入学となる。翌1946年には入学試験が再開されるが、筆記試験が復活するのは1953年のことであった。学制改革により、1947年に新制中学校(開成中学校)が発足し、続く1948年には新制高等学校(開成高等学校)が併設され、旧制5年制中学から新制6年生中高一貫への移行が完成する。 1960年に高校募集(定員50名)を開始し、次いで1974年には高校募集枠が100名に拡大され、現在の中学定員1学年300名、高校定員1学年400名体制となった。


年間行事
5月 - 運動会
9月 - 文化祭
10月 - マラソン大会
2月 - 中学・高校入試

運動会
開成の運動会は紫、白、青、緑、橙、黄、赤、黒の組に分かれて行われる。中高合同で行われ、高校はクラスごと、中学はクラス内を8組に分ける。種目は中一から、馬上鉢巻取り、綱取り、俵取り、騎馬戦、棒倒し(高二・高三それぞれ)である。


出身者
括弧内は卒業年。


政治・官僚
下条みつ (1974) - 政治家、衆議院議員(民主党)。初代経団連会長・貴族院議員の石川一郎の孫。賞勲局総裁・文部大臣の下条康麿の孫。厚生大臣の下条進一郎の子。
岸田文雄 (1976) - 政治家、衆議院議員(自民党)。衆院議員の岸田文武の子。

財界
渡邊恒雄(渡辺恒雄) (1943) - 読売新聞グループ総裁、読売新聞代表取締役社長・会長・主筆、読売巨人軍オーナー、日本野球機構オーナー会議議長、横綱審議委員会委員長、「ナベツネ」
林吉之助 (1961) - オリジナル設計常務取締役
岡本恒夫 (1964) - 呉羽化学取締役・総合研究所長
秋本英明 (1968) - 大和総研常務理事・取締役
松本大 (1982) - マネックス証券社長
吉野英樹 (1993) - GABA社長

法曹
増田晋 (1974) - 弁護士(森・濱田松本)、高額納税弁護士(2002年度、東京)第138位、大宮法科大学院大学教授
長沢幸男 (1977) - 東京高裁判事
岩倉正和 (1981) - 弁護士(西村ときわ)、高額納税弁護士(2002年度、東京)第10位
古川俊治 (1981) - 弁護士、【参照⇒医学の項】

学者
伊豆山健夫 (1950) - 物理学者(物性基礎論、統計力学、天体物理理論)、東大名誉教授、開成中学校・高等学校校長、理化学研究所研究員、荒川区教育委員長、米MIT研究員、米ノースイースタン大学客員教授、日本物理学会理事、開成高校校長としての実績を買われ、トヨタはじめ中部財界が総力をあげて設立した中高一貫校「海陽学園」(2006年開校)の校長に招聘される。
池田真朗 (1968) - 法学者、慶大法学部教授、司法試験考査委員
森田朗 (1970) - 東大公共政策大学院教授
岩原紳作 (1971) - 東大院法学政治学研究科教授
酒井信介 (1971) - 東大院工学系研究科教授
豊田秀樹 (1980) - 統計学者、早大文学部教授
中島峰広 (元教諭) − 人文地理学者、早大教育学部教授、早大大学院教育学研究科委員長

医学
石井秀忠 (1961) - 大塚美容形成外科院長
永井良三 (1968) - 東大医学部附属病院病院長
古川俊治 (1981) - 慶大医学部外科助教授、慶大法科大学院助教授、弁護士

文学
長谷川如是閑 (1889) - 評論家、貴族院議員、文化勲章
辻潤 (1901) - 作家
斎藤茂吉(斉藤茂吉) (1901) - 歌人、文化勲章
中村真一郎 (1935) - 作家
福永武彦 (1935) - 作家
虫明亜呂無 (1941) - スポーツ評論家
荻昌弘 (1943) - 映画評論家
野上龍雄 (1945) - 脚本家
吉村昭 (1945) - 作家
逢坂剛 (1962) - 直木賞作家
松浦寿輝 (1972) - 芥川賞作家、東大教授
岡田悦哉 - 作家
福士幸次郎 - 詩人(青森県立第三中学を中退後に上京し開成中に編入されたが、ただちに退学)

芸術
寺島尚彦 (1949) - 作曲家(『さとうきび畑』)
岡村喬生 (1950) - オペラ歌手
蜷川幸雄 (1955) - 演出家、映画監督
猪俣公章 (1957) - 作曲家
永沢まこと (1959) - イラストレーター、画家、読売新聞「よむヒト図鑑」連載

マスコミ
渡邊恒雄(渡辺恒雄) (1943) - 読売新聞グループ本社社長、読売新聞代表取締役社長・会長・主筆、読売巨人軍オーナー、日本野球機構オーナー会議議長、横綱審議委員会委員長、ナベツネ、【参照⇒現役財界人の項】
松永邦久 (1963) - TBSアナウンサー
桜井均 (1965) - NHKエグゼクティブ・プロデューサー
吉田伸男 (1985) - フジテレビアナウンサー
平野勝彦 (1963) - 日経BP常務取締役、【参照⇒現役財界人の項】

軍人
秋山真之 (1884) - 海軍中将、日本海海戦参謀として日露戦争勝利の立役者となる、「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」、「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮励努力セヨ」の名言でも知られる、開成で同期だった正岡子規とともに司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』のモデルになる。
岡田啓介 (1885) - 第31代内閣総理大臣、海軍相、逓信相、拓務相、海軍省次官、海軍大将、2.26事件時の首相、娘婿で総理秘書官の迫水久常(大蔵官僚、後に参議院議員、経済企画庁長官、郵政相)の機転で岡田首相は難を逃れるも当時師弟で内閣を構成していた蔵相・高橋是清(開成高校初代校長、第20代内閣総理大臣)は凶刃に倒れる。
山口多聞 (1909) - 海軍中将、日本海軍連合艦隊提督、ミッドウェー海戦の名将(「山口に全軍を任せていれば間違いなく日本が勝っていた」)
タグ:開成高校
posted by 塾長 at 04:18 | 日記

東大対策

本項は、東京大学の入試対策に関する事項である。

東京大学は国内最高学府の呼び声に相応しく、本質的な学力を問う難易度の高い入試問題を課している。昨今は易化との声も聞かれるが、それでも中堅クラスの高校から進学するのはかなり難しいだろう。必要に応じて、高校の授業だけでなく予備校の併用を勧めたい。また、本番の雰囲気に慣れるためにも、河合塾東大即応オープン、代ゼミの東大入試プレ、駿台の東大入試実戦模試といった、東大対応模試を受けることが望ましい。各社とも毎年的中を競って良質な予想問題を作っている。

なお、以下の記事で試験問題は主に前期試験の問題を分析したものとなっている。

文科類
併願大学としては早稲田大学や慶應義塾大学などが良い。最近は両校ともセンター方式の入試が増えたので併願しやすくなった。

英語(文系理系共通)
文系理系共通問題であり、5つの大問からなるが、第1・2・4問は(A)と(B)に、第3問は(A)〜(C)に分かれており、これらはほぼ独立した出題であるため、実質的には9〜10題といえる。要旨要約・段落整序、条件英作文、リスニング、文法・語法・英文和訳、長文が出題される。設問量に対して十分な試験時間が与えられてるとは言えないので高度な速読力・文章把握力が必要。英語が苦手な受験生は難度の高い段落整序問題を捨てるなどの対策も有効。また、相対的に平易であることが多い条件英作・リスニング・和訳あたりで高得点を目指したい。

要旨要約問題
例年第1問(A)で出題される。英文の長さは300語程度である。『英語要旨要約問題演習』『英文要旨要約問題の解法』(駿台文庫)という参考書が発売されている。後者のほうが体系的で分かりやすい。また後者はPart 1のみをやれば十分である。単語集として『速読英単語』(Z会出版)を使う受験生なら、例文として示されている文章の分量が適当なので、読む度にある程度頭の中で要約する訓練をしておくとよい。

整序問題
例年第1問(B)で出題される。専用の参考書はない。過去問題集や予想問題集で対策するとよい。

英作文問題
例年第2問で出題される。1997年度以降和文英訳は出題されず、条件英作文が出題されている。主に絵や図を説明させるもの、対話内容の要約させるもの、文章(または対話)中の空所を補充させるもの、テーマ作文の4タイプが出題され、これらから毎年2題が出題される。出題方針に特定の傾向はない。自由英作文であるので難しい構文を使わなくてよい。過去問・予想問題や『英作文のトレーニング』(Z会出版)などで、なるべく多くの問題に触れておくことが望ましい。

リスニング
例年第3問で出題される。約30分という試験時間からもわかるとおり分量がかなり多く、スピードも割と速めで読まれる。『パーフェクトリスニング Volume 1』『パーフェクトリスニング Volume 2 実戦編』(駿台文庫)で対策するとよい。前者でディクテーションをしてリスニングに慣れる。後者でシャドウイングや聞き取りを行うとよい。テレビの討論番組を模したものがよく出題されるので、余裕があればそうした映像番組の音源を聴くのもいいだろう。

文法・語法問題
例年第4問(A)で出題される。主に誤文訂正か、整序英作文が出題される。一部の私大で問われるようなマニアックな内容が問われることはなく、オーソドックスな内容なので、基本的な内容を定着させることが重要である。『即戦ゼミ3 英語頻出問題総演習』(桐原書店)や『英文法頻出問題演習』(駿台文庫)で対策するとよい。前者はランダムである。正解の見当はつきにくいが、自分の弱点が分かりにくい。後者は体系的である。自分の弱点が分かりやすいが、正解の見当がついてしまう。

英文和訳問題
例年第4問(B)で出題される。長文中の2〜3箇所の下線部を訳させる方式であるが、下線部のみを読んで訳すようなことをすると勘違いしてしまうような箇所に下線がひかれている場合が多い。

長文問題
例年第5問で出題される。小説が出題されることが多いが、エッセイ調の文章が出題されることもある。特別な対策は必要ないが、心配な人は過去問などで対策すると良い。

数学(文系)
4つの大問からなる。総じて文系としては難易度が高い問題だが、最も差がつく教科なので捨ててはいけない。図形や整数などを絡めた複合分野問題が多く、定型化された解法だけでは対応できないことが多い。

数学の発想のしかた
東大や京大では、知識は教科書レベルでも発想のしかたで差がつく問題が出題される。この辺を強化するには、さくらの数学の発想のしかた:東大編が役立つ。講義形式なので勉強しやすい。


地理歴史
東大入試5教科において最も得点するのが難しいのが、世界史、日本史、地理の地歴科3科目である。 ただ単に知識の蓄積だけでは高得点を得るのが難しく、普段より、論理的思考に重点を置いた論述対策が必要となる。


世界史
毎年、第一問は全世界規模の交流をテーマにした450〜600字の大論述が出題される。第二問、第三問は地域別の出題で小論述と単答問題からなる。第二問、第三問は単純な知識で解ける問題が中心なので絶対に得点源にしたい。

もっとも、世界史の第二問、第三問は難易度の変動が激しく、時に私大以上とも言うべきマニアックな知識問題や、深い歴史理解を要求する論述が出題される。このような特殊性は、予備校の東大模試では充分に反映されない。そのため、世界史が得意で模試で高得点を得ているような受験生も、世界史に過度な期待をかけず、英語や数学で確実に得点を稼ぐ努力を怠るべきでない。


日本史
古代、中世、近世、近現代と時代別に四題出題される。テーマは政治外交史だけではなく社会経済史や文化史など多様である。全問論述式なので知識を得た上で、各時代の特色と変化を把握しなければならない。これといった対策方法がないため、よほど自信がない限り極力避けるべきである。

地理
人間と環境とのありかたについて広く問われる。毎年、三題出題されており、解答形式は論述問題(近年の制限字数は30字、60字、90字のいずれか)を中心に選択問題や用語・地名記述問題。地形図の出題はまれで、地誌では日本が頻出。時事をからめた問題も多いので日頃から新聞やニュースに接しておく必要がある。また論述字数が少ないのでコンパクトに表現する練習が重要。

地歴の選択について
東大では、地歴の3教科、世界史・日本史・地理から2つを選択して解答することが要求される。 3通りの組み合わせのうち、一般的に世界史・地理がもっとも勉強しやすいと言われる。これは、世界史と地理には重複する部分(世界史でいう戦後史や地理で言う世界地誌など)が多くあり、両方を学ぶと相乗効果が期待できるためと思われる。また、採点基準の不明確な日本史を避けられるという消極的な利点もあろう。

もっとも、受験生の間で少なからず存在する「歴史好き」にとっては日本史・世界史の選択も魅力的である。世界史・地理ほどではなくとも、重複部分もある。合格者に占める割合は世界史・地理選択に並ぶといわれる。

なお、日本史・地理選択はマイナーであるが、世界史に要求される膨大な範囲の暗記を回避できるため、暗記物が不得意な受験生には有利な面もある。

理科類
併願大学は、理科I類や理科II類受験者は早稲田大学理工学部や慶應義塾大学理工学部などが良い。理科III類受験者は慶應義塾大学医学部や防衛医科大学校などが良い。

英語(文系理系共通)
1.1を参照のこと。

数学(理系)
6つの大問からなる。図形問題(特に空間図形)や微分積分が出題されやすい。

『大学への数学 新数学スタンダード演習』(東京出版)や『大学への数学 新数学演習』(東京出版)などを使って対策すると良い。『やさしい理系数学』(河合出版)、『ハイレベル理系数学』(河合出版)などもやっておくとよい。また、数研出版から発売されている、解答がない問題集については、批判の声が多いが、使い方によっては一番数学の成績が伸びる。解答がないため、答えが間違っていても直せないという緊張感をつねに保てるからである。『オリジナル数学演習IAIIB』(数研出版)、『オリジナルスタンダード数学演習IIIC』(数研出版)が、思考力を養うためには数研出版の中でも最難レベルだが、比較的ヒントがしっかりしているのでおすすめ。

過去問は赤青緑とあるが、金銭的に余裕があれば鉄緑会責任編集の角川書店から出てる過去問集をやると良い(解法がいろいろあり良い)。

微分積分
『微積分基礎の極意』(東京出版)で対策する。余裕があれば『解法の探求2』(東京出版)もやっておく。計算を面倒くさがらずに日ごろからやるように心がける。

確率
抽象的な内容が多い。また、難易度は比較的高いので、最後に回した方がいい場合もあるが、年度によってまちまちである。その場その場で難易度を判断できるまで十分な演習をつむこと。


三角関数
東大は、この分野は点取り問題であることが多い。以前にも加法定理の証明問題など、東大受験生なら確実に得点できるような問題は、この分野である。方針をすぐに立てることができなければ、東大受験生としては、基礎力不足であろう。

論証・証明問題
全分野の第1問目として、よく出題される。背理法、数学的帰納法で解けることがおおいが、円周率の証明問題などが以前出題されたことからもわかるように、受験生の数学的な見方、考え方を適切に判断できる分野でもある。この分野は、他の分野の演習が完璧になって初めて身につく分野であるから、受験勉強として数学を勉強するのではなく、能動的に勉強に当たっていく必要がある。

国語(理系)
大問3つからなり、現代文・古文・漢文が1問ずつ出題される。

古文・漢文は基本事項がきかれるので基礎固めが重要である.

現代文ではまず意味段落をとれるようにすべきである.そして各段落で要約ができるようになれば高得点が狙えるだろう.最終問題では文章全体の要旨要約が出されるので,練習をしておくと良いだろう.

東大国語はセンター国語を記述にしたものと考えて良い.どちらも文全体を意味段落で4段落(たまに3段落の時もある)に分けられる.各段落の要約がそれぞれの答えとなるので,「傍線部の近くに似たような表現があったのでそれを抜き出してくる」というような解き方ではセンターだけならある程度対処できるかもしれないが,記述になると対処できなくなるだろう.東大を受ける人はセンター国語を記述のつもりで練習しておけば,センターが終わってからの東大国語の対策を改めてしたりする必要はないので,効率も良く実力も上がるだろう.

理科

物理
3つの大問からなる。それぞれ力学、電磁気学、その他の分野から出題される。

『物理I・II重要問題集 実戦編』(数研出版)や『物理I・II標準問題精講』(旺文社)等で基礎を固めた上で、『難問題の系統とその解き方』(ニュートンプレス)や『物理 名問の森』(河合出版)などを使って対策すると良い。『理論物理への道標』(河合出版) 『新・物理入門』(駿台文庫)も、数学に自信があるならば良い。

また、過去問対策をしている受験生ならわかるであろうが、時間的余裕はまったくといってない。得点を『とる』のではなく、得点を『かき集める』ような受験体制が望ましい。簡単そうな問題に思わぬ落とし穴があったり、一見難解そうな問題であっても誘導にしたがっていけば完答出来る問題もあるから、その場その場で適切な難易度判定ができるくらいまで十分な演習を積んで試験に臨んでもらいたい。

力学
重心系、円運動(惑星軌道)、単振動が頻出であり、他大学で取り扱われていないような題材での出題が目立つ。日ごろの演習から一歩掘り下げた学習姿勢が要求されるが、毎年本質を突いた良問がそろっている。

電磁気学
交流問題の出題頻度が比較的小さい。他の大問に比べれば計算量が少なくてすむことが多く、出来れば完答を目指して取り組みたい。

波動・熱力学・原子物理
原子物理は2006年度より出題範囲から外れた。力学との融合で出題されることが多い。後半は毎回かなりの分量、難度なので、うまく見切りをつけて部分点狙いでいくことが望ましい。

化学
3つの大問からなる。それぞれ理論化学、無機化学、有機化学から出題される。

『新理系の化学 問題100選』(駿台文庫)、『化学I・II 標準問題精講』(旺文社)、『精選化学 新演習』などを使って対策すると良い。『化学I・IIの新研究』(三省堂)を辞書代わりに使うと良い。

今まで取り扱われていないような新傾向の問題も数多く出題されているので、暗記に頼らない化学的な洞察力を普段から養っておく必要があろう。

理論化学
蒸気圧や化学平衡に関する問題がよく出題される。



無機化学
理論化学と無機化学の折衷的な問題が増える傾向にある。『福間の無機化学 無機頻出問題の解法』(旺文社)を使って無機化学反応式を100くらい書けるようにしておく。

有機化学
元素分析についての問題がよく出題される。『有機化学演習』(駿台文庫)を使って対策すると良い。『有機化学の考え方』(駿台文庫)も良い。 有機化学反応式を100くらい書けるようにしておく。『マクマリー有機化学』(東京化学同人)などを勧める人もいるが、読むメリットはあまりない。計算量が多くないのと、東大の特性としてあまり細かい知識を要求されないことから答えやすいことが多く、一般に化学でまず最初に手を付けるべき大問とされる。

生物
例年大問が3つ出題される。「生物の恒常性」などが頻出分野として挙げられるが、実際は過去問を見ると、「細胞」から「生態系」まで、高校生物の全範囲のうちどの分野からも出る可能性があることがわかる。他大学と東大の入試問題の大きく違うところは、受験生ならば触れたことは無いであろうと思われる話題について、大変長いリード文を精密に分析し、自分の持っている知識と照らし合わせながら示された現象を考察し、考察結果を指定行数に圧縮して解答を記述する点である。このため、単に知識を固めるだけでは高得点には結びつかないであろうと思われる。したがって、ある程度知識が固まったならば、過去問や各予備校の予想問題や模擬試験問題などを用いて、リード文を読解し、自分で解答を導き、実際に書く訓練を行わなければならない。東大型の問題が収録されているものとして、「生物合否決定問題攻略26」(代々木ライブラリー)や、「東大特講 リード文読解で攻略する東大生物」(進研ゼミ高校講座)などがある。また、慶応義塾大学医学部や、東京医科歯科大学医学部は、多少の違いはあるが、先に記述した東大と同じ特徴をもった生物の入試問題が出題される。

地学
3つの大問からなる。1問目は毎年複雑な計算を伴う天文の問題が出題される。2問目は固体地球や海洋・気象、3問目は岩石・地質が出題されることが多い。いずれも計算・論述が主である。

地学は受験者が非常に少ないが、だからといって難度が低いわけではない。年による難易度の変動も大きい。教科書レベルの出題がある年もあるかと思えば、かなりの量の論述が求められ時間内に解けないこともある。確実に言えることとしては、他の科目同様高得点を狙うのは簡単ではない。

理科の選択について
東大では、理科の4科目、物理・化学・生物・地学から2つを選択して解答することが要求される。

圧倒的に多いのは物理・化学の組み合わせでの受験者であるが、理二でおよそ4割、理三ではおよそ2割が化学・生物で受験する(理一ではほぼ皆無)。数学が苦手なら生物を考えるとよい。理三志望だからといって生物で受験する必要はない。その他の組み合わせでの受験者はほぼ皆無であり、よほどの理由がない限りは選択しないほうが無難。

面接
理科III類のみ面接が行われる。配点は設定されておらず、総合判定の資料とされる。

タグ:東大対策
posted by 塾長 at 04:14 | 日記

東京大学

東京大学(とうきょうだいがく、英称:The University of Tokyo)は、東京都文京区本郷7-3-1に本部を置く日本の国立大学である。1877年に設置された。大学の略称は東大。

大学全体
東京大学は東京帝国大学の流れをくんでいる国立大学である。東京帝国大学は日本で初めての近代的な大学であり、日本初の帝国大学でもあった。創立以来各地に研究施設や実習施設、課外活動施設を設けてきたため、現在でもこのような施設は日本全国に分散して存在している。


憲章
東京大学では特に創立時に定められた建学の精神などはない。しかし、国立大学法人化によって、現在は東京大学憲章というものが定められている。


教育および研究
東京大学はキャンパスによって教育内容・研究内容を大きく異にしている。教育内容の面からは、主に教養課程を実施する駒場キャンパス、専門教育を行う本郷キャンパス、大学院課程のみの教育を行う柏キャンパスに分けられる。また研究内容の面からは、伝統的な学問領域の研究を行う本郷キャンパス、学際的な研究を行う駒場キャンパス、新しい学問領域の研究を行う柏キャンパスに分けられる。この主要3キャンパス体制は、学部によってキャンパスを分けることの多い日本の大学では珍しい形態である。さらに現在でも入学時の教養課程を分化して設置している大学も日本では数が少なく、日本国内では珍しい存在となっている。また、日本最初の近代的な大学として成立した経緯から様々な学部を設置している。

リベラル・アーツ教育を重視しているのが東京大学の教育の大きな特徴である。後述の特色ある大学教育支援プログラムは各大学1件ずつしか応募できないが、そのプログラムに東京大学が「教養教育と大学院先端研究との創造的連携の推進」を応募したことも、そのことを表している。教育内容の詳細は#教養教育(前期課程教育)を参照。

最近では「知の開放」プログラムの一環として、一般向けの講義を中心に講義のビデオをポッドキャスティングで配信している。


学風および特色
東京大学は自由な学風を特色としている。この学風は東大安田講堂事件に代表されるような学生運動にも現れている。

特徴的な行事としては、毎年4月に2年生が新入生を1泊2日程度の合宿に連れて行く「オリ合宿」がある(大学側の運営ではなく学生による自主的行事)。オリ合宿はクラスごとに行われ、クラスの仲間と早く親しくなる良い機会であるため、ほとんどの新入生が参加している。


沿革

「東京大学発祥の地」の碑。学士会館内(東京都千代田区神田)
略歴
東京大学の起源は、1684年(貞享元年)に江戸幕府が設立した天文方と1858年に江戸の医者の私財によって設立された種痘所まで遡る。その後、天文方は幾度の変遷を経て1868年に開成学校となった。また、種痘所も1860年に江戸幕府へ移管、1863年には医学所、1874年には東京医学校となった。1877年に東京開成学校と東京医学校が合併して「東京大学」となり、日本で初めての近代的な大学として設立された。本稿ではこの経緯から創立は天文方の設置年である1684年、設立は東京大学が誕生した1877年としている。(なお、日本最古の大学については大学寮参照)


年表
1877年4月 東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学を設立(法・理・文・医の4学部)
1880年8月 法理文の3学部に学士研究科を設置(大学院の前身)
1886年3月 工部大学校を統合し、帝國大学令により帝國大學と改称(法・医・工・文・理の5分科大学および大学院を設置)
1890年6月 東京農林学校を統合し、農科大学を設置
1897年6月 京都帝国大学の設立に伴い東京帝國大學と改称
1919年2月 分科大学制を廃し学部を設置。経済学部を新設
1942年3月 千葉県千葉市に第二工学部を設置。本郷の工学部は第一工学部に改称
1947年9月 東京大学に改称
1949年5月 旧制の第一高等学校・東京高等学校高等科を併合し、新制の東京大学となる(法・医・工・文・理・農・経済・教養・教育の9学部)。第二工学部廃止(生産技術研究所へ改組)
1953年3月 新制の大学院を設置(人文科学・社会科学・数物系・化学系・生物系の5研究科)
1958年4月 薬学部設置(以後の学部新設はない)
1962年4月 前期課程の4科類(文科一類・二類、理科一類・二類)を現在の6科類に再編
1963年4月 大学院人文科学研究科・社会科学研究科を改組し、人文科学・教育学・法学政治学・社会学・経済学の5研究科を設置
1965年4月 大学院数物系研究科・化学系研究科・生物系研究科を改組し、理学系・工学系・農学系・医学系・薬学系の5研究科を設置
1969年2月 東大紛争の余波で入学試験見送り
1983年4月 大学院総合文化研究科を設置
1991年4月 大学院重点化を開始
1992年4月 大学院数理科学研究科を設置
1994年4月 大学院農学系研究科を大学院農学生命科学研究科に改称
1995年4月 大学院社会学研究科を廃止し、人文科学研究科を人文社会系研究科に改組
1997年4月 大学院重点化が完了
1998年4月 大学院新領域創成科学研究科を設置
2000年4月 大学院情報学環・学際情報学府を設置
2001年4月 大学院情報理工学系研究科を設置
2003年3月 東京大学憲章を制定
2004年4月 国立大学法人法の規定により国立大学法人となる。大学院法学政治学研究科法曹養成専攻(法科大学院)、大学院公共政策学連携研究部・公共政策学教育部(公共政策大学院)を設置。特別栄誉教授制度を創設
2005年4月 北京代表所を設置

基礎データ

所在地
本郷キャンパス(東京都文京区本郷、弥生)
駒場キャンパス(東京都目黒区駒場)
柏キャンパス(千葉県柏市柏の葉)
白金キャンパス(東京都港区白金台)
中野キャンパス(東京都中野区南台)

象徴

スクールカラー
東京大学のスクールカラーは淡青(ライトブルー)である。これは東京大学ボート部が京都大学とボート対抗戦を行った際、乗るボートをくじ引きで決めたところ、京都大学は濃青、東京大学は淡青となったことに由来する。


シンボルマーク
東京大学のシンボルマークは、黄色と青(淡青)の2枚の銀杏の葉を組み合わせたもので商標として登録(商標登録第4871651号)されている。このシンボルマークは「東大マーク」と呼称されているが、商標は図案のみの登録で「東大マーク」という名称は商標登録されていない。

この「東大マーク」は国立大学法人化された時に制定されたが、東京大学にはそれ以前から様々なところで使用されてきた銀杏のマークがあり(銀杏の葉の形状は「東大マーク」と類似している、中央に「大學」と書かれている)、「東大マーク(旧)」と呼ばれている。「東大マーク(旧)」は1948年に「銀杏バッジ」として制定されたものであり、正式な校章ではない。「東大マーク(旧)」も商標登録(第4868079号、図案のみ)されている。

これらシンボルマークのほかに「東京大学」(第4845999号、第4868078号)、「東大」(第4846000号、第4853892号、第4872824号、第4872825号、第4872826号、第4872827号、第4878617号、第4901389号、第4903509号、第4903510号、第4903511号、第4928970号、第4928971号)、「UNIVERSITY OF TOKYO」(第4871650号)も国立大学法人東京大学によって商標登録されている。

「東大マーク」および「東大マーク(旧)」の図柄は公式サイト内の「東大マーク・校歌」に掲載されている。

なお、駒場Iキャンパスでよく見られる3枚の銀杏の葉を組み合わせたマークは、大学院総合文化研究科・教養学部のシンボルマークである。


校歌・応援歌
東京大学には校歌は存在しないが、応援歌『ただ一つ』と運動会歌『大空と』が「東京大学の歌」として公認されている。

2004年6月に東京大学の校歌についての検討会が設置され、『大空と』を暫定的に校歌とする提案がなされた。しかし、『ただ一つ』の方が親しみがあるという意見が多く寄せられため、『ただ一つ』と『大空と』を校歌ではなく「東京大学の歌」と位置づけた。

これに加えて新しい「東京大学の歌」の歌詞を公募したが、入選作品はなく、今後の対応は2005年4月現在検討中である。

東京大学で現在も歌われている歌には以下のようなものが存在する。

応援歌『ただ一つ』 : 校歌に代わって、式典での斉唱や運動部の試合でのエール交換に使用されている。曲名の表記は、大学当局は『ただ一つ』、応援部などの運動部は『ただひとつ』とすることが多い。
運動会歌『大空と』 : 北原白秋作詞、山田耕筰作曲。1932年に誕生。制作当時は校歌としての制定を意図していたが、手続上の混乱で校歌とはならなかった経緯がある。
学生歌『足音を高めよ』 : 上の2曲とならんで有名。
応援歌『闘魂は』 : 第一応援歌に相当する。
第一高等学校寮歌『嗚呼玉杯に花うけて』
楽譜・歌詞などは公式サイト内の「東大マーク・校歌」に掲載されている。また、これらの歌が収録されたCDも東大生協で販売されている。


教育および研究

組織

赤門
学部

前期課程
東京大学の入学者は全員が6つの科類に分かれて教養学部に所属し、2年間の前期課程を履修する。入学選考時に各科類を指定して出願する。科類により後期課程に進学可能な学部・学科が決まっており、おおよそ次のようになる。

文科一類 : 法学部
文科二類 : 経済学部
文科三類 : 文学部・教育学部
理科一類 : 工学部・理学部・薬学部・農学部
理科二類 : 農学部・理学部・薬学部・工学部・医学部
理科三類 : 医学部医学科
※類の数字は公式には漢数字(「文科一類」等)であるが、学内でも算用数字(「文科1類」等)やローマ数字(「文科I類」等)が入り乱れて使用されている。大学受験業界ではローマ数字がよく用いられ、学生の多くもローマ数字を用いているが、本記事では、公式表記に合わせて漢数字で記述することにする。
この他、教養学部の後期課程には、一部の分科を除きどの科類からも進学できる。また学部・学科によっては上に記した科類以外からの進学も、少数ではあるが認められる(傍系進学)。2008年度より全科類進学枠が設けられ、どの科類からでもすべての学部("学科"ではない)に進学できるようになる。

後期課程の各学部・学科への進学は2年生の前半終了時に内定する。学科により進学可能な定員があるため、希望者の多い学科に進む場合はそれまでの1年半の履修成績により選考が行われる(進学振分け、略称「進振り」)。内定できなかった学生は2年生の前半から1年生の後半に戻る。留年の一種であるが、同じ学年に留まる留年とは少し異なるため「降年」と呼ばれる。

進学振分けで内定した学生は、2年生の後半には主に、内定した学部の後期課程の講義を履修する(前期課程の講義も履修できる)。ただし、法学部・文学部・経済学部と教職課程は2年生の前半から開始される(経済学部は2006年度まで)。

また、前期課程教育を行う教員組織は「部会」と呼ばれており、大学院総合文化研究科・数理科学研究科に所属する教員で構成されている(東京大学は大学院重点化されたため教養学部の教員も大学院所属となっている)。

英語部会、ドイツ語部会、フランス語部会、中国語・韓国語部会、ロシア語部会、スペイン語部会、古典語・地中海諸言語部会
法・政治部会、経済・統計部会、社会・社会思想史部会、国際関係部会
歴史学部会、国文・漢文学部会、文化人類学部会、哲学・科学史部会、心理・教育学部会、人文地理学部会
物理部会、化学部会、生物部会、情報・図形科学部会、宇宙地球部会、相関自然部会、スポーツ・身体運動部会
数学部会(数理科学研究科前期課程数学委員会)

後期課程
以下の各学部にて2年間(但し医学部医学科と農学部獣医学課程、薬学部薬学科は4年間)履修する。

法学部
1951年に従来の学科が類に改称された。法学部自治会の通称を元に法学部のことを緑会と呼ぶことがある。ちなみに法学部自治会の通称は、法学部のスクールカラーが緑であることに由来している。
第1類(私法コース)
第2類(公法コース)
第3類(政治コース)
医学部
医学科では、3〜6年生のことをそれぞれM1〜M4と呼び(他学科ではM1〜M3は修士課程学生を表す)、医学科に内定した2年生をM0と呼ぶ。また、鉄門系サークル(鉄門倶楽部参照)では理科三類1年生、2年生をそれぞれC1、C2と呼んでいる。
医学科では、基礎医学研究者を早期養成するために、M2あるいはM3から大学院医学系研究科博士課程に飛び入学できる「Ph.D.-M.D.コース」が設けられている。
教養学部
1996年に、従来設置されていた教養学科第一・第二・第三、基礎科学科第一・第二を再編して現在の6学科が設置された。それまでは文系の学科である教養学科第一に属していた科学史・科学哲学、人文地理学、認知行動科学が、それぞれ理系の学科である基礎科学科、広域科学科、生命・認知科学科に移行したことは特筆に値する。教養学部後期課程では教員数に比べて学生が少ないため、綿密な教育が行われている。学際性と国際性を重視しており、外国語教育が充実している(一部の分科を除いて外国語が必修である)のも特徴である。

課外活動
東京大学の場合、課外活動を行う団体・組織は、大きく分けて運動会とサークルに分かれる。このうち運動会は一般に他大学で称されるところの体育会にあたる。学部学生は、原則として全員運動会に入会するので、学部学生であれば誰でも御殿下記念館などの施設を用いて運動を行うことができ、また運動会が主催する各種大会・講習会への参加、保健体育寮「スポーティア」などでの宿泊等が可能である。しかしながら運動会に所属する部が出場している大会等に参加する場合には、さらに当該する部に所属する必要がある。

課外活動を運動系、音楽系、文化系に分けた場合、運動系の活動は、運動会の部の他、サークルに参加しても行うことができる。また、運動会は運動系のための団体であるので、音楽系と文化系の活動を行う場合にはサークルに参加することになる。

東京大学運動会
学部生・院生・研究生・教職員・卒業生・元教職員などを会員とする財団法人。学部生は、原則として全員入学時に入会することになっている。年会費が必要。
サークル
サークルは大きく分けて、学生部(もしくは各学部)学生課の管轄下にある学生団体と、教養学部学友会(同窓会の連合体としての東京大学学友会とは別組織)に加盟しているサークルの2つに分けられる。またこのどちらにも属さない非公認サークルも存在する。
学生団体
大学当局の公認サークル。ただ団体設立には必ず顧問教官を置く必要があるほか、本郷キャンパスにサークルの活動拠点になるような場所が事実上存在しないため、サークル活動を維持するには駒場キャンパスでの便宜を受けられる学友会加盟サークルで十分な場合が多いなどの理由から、公認を受けないサークルが多い。
教養学部学友会加盟サークル
教養学部の学生自治団体の一つである学友会に加盟しているサークル。サークル設立に際し顧問教官を置く必要がない上、学友会を通じ大学からのサークル援助金を受け取ることが可能。また援助金以外にも部室の確保など、駒場キャンパスにおけるサークル活動を行う際の便宜が十分に得られることから、大半のサークルはこちらを選択している。

学園祭

五月祭

概要
五月祭(ごがつさい、May Festival)は東京大学本郷キャンパス(弥生地区も含む)で開催される学園祭。五月祭常任委員会により開催されている。例年5月末の土日の2日間にかけて開催されている。五月祭の起源は、1923年5月5日に東京帝国大学で催された第1回大園遊會であり、その後、全学大懇親會、全学公開と名称が変わり、1933年に現在の名称になった。


駒場祭

概要
駒場祭(こまばさい、Komaba Festival、略称:駒祭)は東京大学駒場Iキャンパスで開催される学園祭。教養学部前期課程の学生のみで構成される駒場祭委員会により開催されている。例年11月下旬勤労感謝の日付近の3日間開催されている。駒場祭の起源は、1891年(明治24年)に旧制第一高等学校(一高)で開催された第1回紀年祭にまでさかのぼる。1950年(昭和25年)3月一高が廃止され、新制東京大学に移行した後、同年11月25日に第1回駒場祭が開催され、現在に至る。

施設

キャンパス
東京大学は新制大学となってから長い間(日本全国に分布する研究施設などを除くと)本郷・駒場の主要2キャンパスで構成されていたが、1992年6月に立案された三極構造構想に基づいて柏キャンパスが設置されてからは、本郷・駒場・柏が主要キャンパスと扱われるようになった。現在、東京大学公式サイトでは、白金・中野を加えた5キャンパス体制を謳っている。


本郷キャンパス
本郷地区あるいは本郷地区キャンパスとも呼ばれる。なお、「本郷キャンパス」および「本郷地区」は、本郷キャンパス (地区)のみを指すこともあるので注意を要する。

ほとんどの後期課程をこのキャンパスで履修する。また、附置研究所など附属研究施設の多くが本郷キャンパスにある。本郷キャンパスはさらに本郷・弥生・浅野の3地区に分かれ、それぞれ本郷キャンパス・弥生キャンパス・浅野キャンパスと呼ばれている。


本郷キャンパス (地区)
使用学部:法学部、医学部、工学部(一部は浅野キャンパス)、文学部、理学部(一部は浅野・駒場Iキャンパス)、経済学部、教育学部、薬学部
使用研究科:人文社会系研究科、教育学研究科、法学政治学研究科、経済学研究科、理学系研究科(一部は浅野キャンパス)、工学系研究科(一部は浅野キャンパス)、医学系研究科、薬学系研究科、情報理工学系研究科、情報学環・学際情報学府、公共政策学連携研究部・公共政策学教育部
使用附属施設:医学部附属病院、東洋文化研究所、社会科学研究所、史料編纂所、総合研究博物館、環境安全研究センター など
交通アクセス:東京メトロ丸ノ内線・都営地下鉄大江戸線本郷三丁目駅より徒歩8分、東京メトロ南北線東大前駅より徒歩3分、東京メトロ千代田線根津駅より徒歩15分、東京メトロ千代田線湯島駅より徒歩8分、JR御茶ノ水駅・上野駅・御徒町駅より都営バス利用
東大の中で最も有名なキャンパスであり、赤門や医学部付属病院、夏目漱石の『三四郎』で描かれる池(育徳園心字池、通称「三四郎池」)のほか、安田財閥の祖である安田善次郎が寄贈した安田講堂(正式名称:東京大学大講堂)がある。本郷キャンパス(地区)は、江戸時代には加賀藩上屋敷があった場所であり、赤門、三四郎池などにその名残りが見られる。

本郷キャンパス(地区)には歴史のある建物が多く、東京都の登録有形文化財第1号である安田講堂をはじめ、正門(横にある門衛所も含む)、法文1号館、法文2号館、法学部3号館、工学部列品館も登録有形文化財に登録されている。総合図書館は今後改装工事を行う予定があるため登録有形文化財には登録されていないが、関東大震災後にロックフェラー財団の寄付によって建設された歴史の経た建物である。これらはほぼ同時期に建てられた「内田ゴシック」と呼ばれるゴシック様式の建物であり、同キャンパス内には他にも工学部1号館、医学部2号館(本館)など数多く存在する。これらの建物群のある同キャンパスを東京大学総合研究博物館では「重厚な、安定した日本有数のキャンパス」と評価している。

「東大構内」バス停の近くにある理学部化学東館は、関東大震災よりも前の1916年に完成した建物であり、「内田ゴシック」の建物群よりもさらに長い歴史をもつ。本郷キャンパスに現存する最古の校舎であり、内田ゴシックの建物とは異なった雰囲気をもつ。L字型の建物であったが、現在は両端で別の建物とつながっている。なお、校舎以外も含めれば、赤門わきにある東京大学コミュニケーションセンターが本郷キャンパス最古の建物である(1910年に人力車の車庫として建設された建物を大学法人化後に改装した)。

一方、最近は新しい建物も増えてきており、内部が綺麗でよいという意見がある一方で、既存の建物との調和性を崩し、キャンパスの伝統性を壊しているという声もあり賛否両論である。特に理学部1号館は、安田講堂の真後ろにある高層建造物であるため、安田講堂の背景を台無しにしていると言われている。そのため、既存の建物の外観は残したまま、内部だけを改装した建物も多い。特殊な例としては、既存の建物の上空に高層建造物を建築した工学部2号館がある。

三四郎池の東にある御殿下記念館(ごてんしたきねんかん)は、1977年に東京大学創立百年記念事業として建設されたスポーツ施設である。グラウンド(屋外)の他、地下にプール、ジムナジアム、トレーニングルーム、クライミングウォールなどの施設がある。

キャンパス南部にある龍岡門(たつおかもん)は、近くに「鉄門」と呼ばれる門があったため、龍岡門の通称が鉄門であると混同している人が多い(龍岡門周辺に多くの施設をもつ医学部の通称が「鉄門」であることも影響している)。龍岡門は常時開放されており、一般車両も入構できる。付近には医学部・薬学部の施設の他、大学本部がある。医学部附属病院も近い。

本当の鉄門は、龍岡門よりも東の医学部附属病院中央診療棟南側に、1879年から1918年まで存在していた。現在ある鉄門は、2006年5月31日に88年ぶりに同位置に再建されたものである。かつて医学部本部棟がこの付近にあったため、「鉄門」は東京大学医学部、あるいは東京大学医学部医学科卒業者の代名詞となっている(鉄門倶楽部参照)。現在では、医学部教育研究棟内に「鉄門記念講堂」も存在する。


弥生キャンパス (地区)
使用学部:農学部
使用研究科:農学生命科学研究科
使用附属施設:地震研究所、分子細胞生物学研究所、アジア生物資源環境研究センター、インテリジェント・モデリング・ラボラトリー など
交通アクセス:東京メトロ南北線東大前駅より徒歩0分、東京メトロ千代田線根津駅より徒歩8分、東京メトロ丸ノ内線本郷三丁目駅より徒歩12分
本郷キャンパス(地区)の北隣りに位置する。両キャンパスを隔てる言問通り(学内での通称「ドーバー海峡」)には構内歩道橋がある。弥生キャンパスには農学部があるため「農学部構内」と呼ばれることもあるが、実際にはその他の研究施設も多く存在する。また、将来的には法学部も施設面積を拡大するため弥生キャンパスに移転する構想がある。野球場も弥生キャンパスにある。


浅野キャンパス (地区)
使用学部:工学部(一部)、理学部(一部)
使用研究科:理学系研究科(一部)、工学系研究科(一部)
使用附属施設:情報基盤センター、低温センター、アイソトープ総合センター など
交通アクセス:東京メトロ千代田線根津駅より徒歩8分、東京メトロ南北線東大前駅より徒歩8分
工学部9・10・12号館と理学部3号館は浅野キャンパスにある。弥生時代の名称由来となった弥生式土器は浅野キャンパスの一角から出土しているという説があり、敷地内に碑が建てられている。


駒場キャンパス
駒場地区あるいは駒場地区キャンパスとも呼ばれる。旧制の第一高等学校や駒場農学校のあった場所である。駒場キャンパスは大きく2つの地区に分かれており、それぞれ駒場Iキャンパスと駒場IIキャンパスと呼ばれている。しかし、学生や学外の人の間では駒場IIキャンパスはあまり知られていないため、通常「駒場キャンパス」といえば駒場Iキャンパスのみを指すことが多い。


駒場Iキャンパスの銀杏並木
駒場Iキャンパス
使用学部:教養学部(前期課程・後期課程)、理学部数学科
使用研究科:総合文化研究科、数理科学研究科
使用附属施設:教養学部附属教養教育開発機構、総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター
交通アクセス:京王井の頭線駒場東大前駅東大口より徒歩0分
駒場Iキャンパスには教養学部があり、全ての前期課程の学生はここで学ぶ。理学部数学科は以前は本郷キャンパス(地区)にあったが、数理科学研究科の発足に伴い駒場に移転した。未成年者が多いため、キャンパスは全面禁煙となっている。講義室での大量ビラ撒き、生協前でのサークル勧誘活動、銀杏並木(駒場Iキャンパスのメインストリート)の立て看板、学期開始時の大教室講義の立ち見(座席数以上の学生が聴講を希望するため)など、東大の他キャンパスにはない独特の雰囲気をもつ。国際的なキャンパスを目指しており、留学生比率が東大のキャンパスの中で最も高い。

教養学部1号館(旧制第一高等学校本館)は登録有形文化財に登録されている。また、101号館、講堂(900番教室)、駒場博物館(旧図書館)も一高時代からの歴史ある建物である。銀杏並木の東端には最近まで駒場寮と呼ばれる寮があったが、これも一高時代からあり、銀杏並木の地下にはこれらの建物を結ぶ地下通路があった。この通路は現在も残っているが、閉鎖され通行はできない。駒場寮は取り壊され、現在その跡地には、生協を中心とした新しい施設「東京大学駒場コミュニケーション・プラザ」が建設中である(2006年4月にその一部がオープンし、2006年10月には完全オープンする予定)。

900番教室にはパイプオルガンが設置されており、定期的に演奏会および講習会が行われている。なお、900番教室は教養学部で最も大きい教室であり、人気のある選択科目や法学部の専門科目の講義が行われているが、年度初めには間違えて9号館に行ってしまう新入生の姿がよく見かけられる(9号館には900番という教室はない)。

キャンパス東部にある池は俗に「一二郎(浪)池」などと呼ばれていたが、最近になって構内の案内板にも「一二郎池」と記載されるようになった。ただし、この池の周辺は立入禁止になっているため、池の存在はあまり知られていない。また、この池には「入学前に一人で見ると浪人する」や「入学後に一人で見ると留年する」などといったジンクスがある。


駒場IIキャンパス
使用学部:なし
使用研究科:なし
使用附属施設:生産技術研究所、先端科学技術研究センター、国際・産学共同研究センター、駒場オープンラボラトリー
交通アクセス:小田急小田原線・東京メトロ千代田線代々木上原駅より徒歩12分、小田急小田原線東北沢駅より徒歩7分、京王井の頭線駒場東大前駅西口より徒歩10分、京王井の頭線池ノ上駅より徒歩10分
駒場リサーチキャンパスとも呼ばれる。駒場農学校があった頃は、駒場Iキャンパスだけでなく、駒場IIキャンパスや両キャンパスに挟まれた駒場公園も駒場農学校の敷地であった。先端科学技術研究センター13号館(旧・航空研究所本館)は登録有形文化財に登録されている。


柏キャンパス

柏キャンパス使用学部:なし
使用研究科:新領域創成科学研究科
使用附属施設:宇宙線研究所、物性研究所、人工物工学研究センター、空間情報科学研究センター、高温プラズマ研究センター、気候システム研究センター
交通アクセス:首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線柏の葉キャンパス駅より徒歩25分(東武バス利用の場合は13分)・東武野田線江戸川台駅より徒歩30分・JR常磐線柏駅より東武バス利用
柏地区あるいは柏地区キャンパスとも呼ばれる。手狭になった本郷・駒場地区の再開発とあわせて立案された三極構造構想に基づき設置され、1999年に物性研究所及び宇宙線研究所が柏に移転した。さらに、1998年に本郷キャンパス(地区)の各学部施設に暫定的に設置された新領域創成科学研究科の移転も順次行われ、2006年4月に移転完了した。本郷キャンパスや駒場キャンパスと違ってキャンパスに門や塀はない。


白金キャンパス
使用学部:なし
使用研究科:なし
使用附属施設:医科学研究所
交通アクセス:東京メトロ南北線白金台駅徒歩0分、JR山手線目黒駅徒歩15分
白金地区あるいは白金台キャンパスとも呼ばれる。


中野キャンパス
使用学部:なし
使用研究科:なし
使用附属施設:海洋研究所
交通アクセス:東京メトロ丸ノ内線中野新橋駅徒歩10分、京王新線幡ヶ谷駅徒歩20分、都営大江戸線西新宿五丁目駅徒歩15分、JR新宿駅西口より京王バス利用
中野地区とも呼ばれる。東京大学教育学部附属中等教育学校もこのキャンパスにある。


その他施設
検見川地区
使用附属施設:農学生命科学研究科附属緑地植物実験所、薬学系研究科附属薬用植物園、検見川総合運動場
交通アクセス:JR総武線新検見川駅より徒歩10分
秋葉原拠点
使用研究科:情報理工学系研究科創造情報学専攻
交通アクセス:JR秋葉原駅電気街口より徒歩1分、東京メトロ日比谷線秋葉原駅より徒歩4分、東京メトロ銀座線末広町駅より徒歩5分
秋葉原ダイビル内に設置されている。
この他、全国各地に研究施設を持つ。

大講堂(安田講堂)
東京大学大講堂は、安田講堂の異名を持ち、東大紛争の際に同講堂で発生した東大安田講堂事件は昭和の事件史では必ず取り上げられるエポックとなっている。



東京大学には以下の4つの学生寮がある。前期課程学生は三鷹国際学生宿舎または白金学寮に入寮できる。

豊島学寮(男子)
白金学寮(女子)
豊島国際学生宿舎(男子・女子) - 2006年4月より女子学生も入居可能となった。
三鷹国際学生宿舎(男子・女子) - 教養学部が管理しており、教養学部生のみ入居できる。
かつて存在した学生寮
駒場寮 - 駒場Iキャンパス内に存在した学生寮。教養学部の管轄であった。詳細は東京大学駒場寮を参照。
三鷹寮 - 教養学部の学生寮。1993年6月1日に三鷹国際学生宿舎が開館したため、廃寮。
井之頭学寮(男子) - 2006年3月末に閉寮。

検見川総合運動場
検見川総合運動場はサッカー日本代表がかつて代表合宿を組んでいたことで日本国内のサッカーファンにはよく知られている。また、同運動場は、約二千年前の地層からオオガハスという植物の種子が採集されたため、植物学者の間でも著名な場所となっている。


社会との関わり

赤門
東京大学を意味する赤門(あかもん)という異称は、日本国内の大学における第二次世界大戦前の異称にも影響を与え、「○門」という異称を持つ大学を増やした。また、鉄門(てつもん)は東京大学医学部を指す異称だが、これも赤門に影響されて付けられたものと推測されている。


入学試験
ウィキブックスに東京大学の入試対策関連の教科書や解説書があります。東京大学の入学試験は、日本社会に対して様々な社会的影響を与えている。大学の入学試験がここまでの影響を及ぼしている事例は他にない。詳細は東京大学の入学試験を参照。
タグ:東京大学
posted by 塾長 at 04:11 | 日記

国立高校

日本における国立学校
日本に於いて国立学校とは、「国の設置する学校」(学校教育法第二条第二項)である。但し、同法同条前項の規定により「国」には国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構が含まれる。

現在は国が直接設置する学校は存在しない為、国立大学法人及び独立行政法人国立高等専門学校機構が設置する学校が国立学校であると謂える。

国立大学に附属する中学校、高等学校及び中等教育学校
国立大学に附属する中学校、高等学校及び中等教育学校は、教育学部の学生を実習させたり、新しい教育の試みを実施したりするために存在する、付属病院と同様の研究機関である。市区町村立の学校と違い、志願しなければ入学することにならないため、入学する生徒の家庭は教育熱心であることが多く、一部の私立学校と同じようにエリート教育的な雰囲気がある。入学者の選抜に当たっては、抽選と学科試験の片方もしくは両方が行なわれる。

また、文部科学省がよく行う斬新な教育プランは、国立校のように生徒の基礎学力が高く、家庭も教育熱心であるという恵まれた環境での実験結果を基にしているので、必ずしも全ての学校に適切であるとはいえない。古い話だが、大正自由教育も最初はこういった恵まれている学校で実験され、その成功体験を元に他の学校にも適用しようとしたが、弊害も現れた。

なお、昭和20、30年代には、国立大学に附属しない国立の電波高等学校や商船高等学校が存在したが、これらは、昭和40年代に高等専門学校に改組された。

国立大学に附属する小学校
国立大学に附属する小学校は、教育学部の学生を実習させたり、新しい教育の試みを実施したりするために存在する、付属病院と同様の研究機関である。市区町村立の学校と違い、志願しなければ入学することにならないため、入学する児童の家庭は教育熱心であることが多く、一部の私立学校と同じようにエリート教育的な雰囲気がある。入学者の選抜に当たっては、抽選と学科試験の片方もしくは両方が行なわれる。

また、文部科学省がよく行う斬新な教育プランは、国立校のように児童の基礎学力が高く、家庭も教育熱心であるという恵まれた環境での実験結果を基にしているので、必ずしも全ての学校に適切であるとはいえない。古い話だが、大正自由教育も最初はこういった恵まれている学校で実験され、その成功体験を元に他の学校にも適用しようとしたが、弊害も現れた。

国立大学に附属する幼稚園
国立大学に附属する幼稚園は、教育学部の学生を実習させたり、新しい教育の試みを実施したりするために存在する、付属病院と同様の研究機関である。市区町村立の学校と違い、志願しなければ入園することにならないため、入園する園児の家庭は教育熱心であることが多く、一部の私立学校と同じようにエリート教育的な雰囲気がある。入園者の選抜に当たっては、抽選と学科試験の片方もしくは両方が行なわれる。

また、文部科学省がよく行う斬新な教育プランは、国立校のように園児の基礎学力が高く、家庭も教育熱心であるという恵まれた環境での実験結果を基にしているので、必ずしも全ての学校に適切であるとはいえない。古い話だが、大正自由教育も最初はこういった恵まれている学校で実験され、その成功体験を元に他の学校にも適用しようとしたが、弊害も現れた。

国立大学に附属する幼稚園
国立大学に附属する幼稚園は、教育学部の学生を実習させたり、新しい教育の試みを実施したりするために存在する、付属病院と同様の研究機関である。市区町村立の学校と違い、志願しなければ入園することにならないため、入園する園児の家庭は教育熱心であることが多く、一部の私立学校と同じようにエリート教育的な雰囲気がある。入園者の選抜に当たっては、抽選と学科試験の片方もしくは両方が行なわれる。

また、文部科学省がよく行う斬新な教育プランは、国立校のように園児の基礎学力が高く、家庭も教育熱心であるという恵まれた環境での実験結果を基にしているので、必ずしも全ての学校に適切であるとはいえない。古い話だが、大正自由教育も最初はこういった恵まれている学校で実験され、その成功体験を元に他の学校にも適用しようとしたが、弊害も現れた。

タグ:国立高校
posted by 塾長 at 04:07 | 日記

私立高校

私立学校(しりつがっこう)とは、学校法人の設置する学校である。略称は私学。「市立」と混同しないため、口頭では「わたくしりつ」とも言う。また、近年になって構造改革特別区域に限り、株式会社や特定非営利活動法人も設置できるようになった(朝日塾中学校など)。

私立学校の管轄
私立学校の設置・廃止・変更などの認可は、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、盲学校、聾学校、養護学校、専修学校、各種学校については都道府県知事が行い(都道府県教育委員会の管轄ではない)、大学、短期大学、高等専門学校については文部科学大臣がおこなう(学校教育法第4条)。

私立の小学校・中学校・高等学校・中等教育学校
公立の小中学校は教育内容が学習指導要領から逸脱することは非常に難しいが、私立の小中学校は、各校独自で知育・進学重視の教育をしている場合が多い。また宗教教育も可能なため、学費の高さをもってしても有り余る魅力があるという人も多く、私立に入学するための小学校受験や中学入試の人気が高まってきている。ゆとり教育政策による公立学校の学力低下がこの傾向に拍車をかけた。

1970年代ごろまでは東京大学の合格者の多くが日比谷などの公立高校出身者だったが、ゆとり教育や学校群制度の影響により、現在の合格者の大部分は私立ないし国立の中高一貫校の出身者である。

私立学校の特徴として、男女別学が多いということ、中学校を併設していない高校はある程度存在するが、高校を併設していない中学校はほとんど存在しないということなどがあげられる。

私立学校の教員採用に関しては、各校が独自の採用方法を採っているが、地域によっては私学協会が私学適性検査を実施していることがあり、これを受けてエントリーすることもある。

中学入試・高校受験で人気が高い私立学校には、大きく分けて次の2種類がある。

附属校タイプ
大学に附属していて、ほとんど無試験で大学まで進学できる学校。ただし武蔵などのように附属校であっても内部進学者がほとんどいない学校もある。
進学校タイプ
学力重視の教育をしていて難関大学への一般入試での合格者が多い学校。大学附属でない学校に多い。先述の武蔵などはむしろ進学校としての人気が高いと言える。

地域的な集中
私立中学は日本に700校あるが、東京都179校、神奈川県62校、埼玉県20校、千葉県23校、大阪府63校、兵庫県39校、京都府24校と、首都圏と近畿圏に集中している。しかし東京都でも中学校全体の21,2%と少数派である(生徒数比率は24%)。他の20校以上ある都道府県の学校数は、静岡県22校、愛知県21校、広島県27校、福岡県29校である。学齢期の日本人であれば義務教育制度によって公立中学への入学が保障されているため、公立中学校の滑り止めになる私立中学校は存在しないことになる。

私立高校は日本に1318校あり、東京都は238校だが、中学校ほど一地域に集中していない。首都圏などでは中高一貫校を中心として偏差値の高い学校も多いが、地方によっては平均的な公立高校よりも偏差値が低い場合もある。中学と違い、高校は公立も入学試験があるため、公立高校の偏差値が高い地域では公立高校の滑り止めになる私立高校も多い。

タグ:私立高校
posted by 塾長 at 04:06 | 日記

公立高校

公立学校(こうりつがっこう)とは、おもに地方公共団体が設立した学校のことであるが、広義には国立学校も含める。

公立学校の設置者は、大きく分けて都道府県立、市町村立、組合立(地方公共団体の組合による設立)がある。地方独立行政法人である公立大学法人が設置する大学も公立学校に含まれる。

国立学校(国、文部科学省)や私立学校(民間、学校法人・株式会社・個人)と区別する時に用いる用語である。地方公共団体の教育委員会や教育庁が管理を行う。これには、幼稚園、小学校から大学までが含まれる。ただし、公立大学(短期大学を含む)の管理及び執行については、地方公共団体の長(都道府県知事、市町村長、地方公共団体の組合の管理者)が行い、教育委員会は関与しない。

公立学校では、特定の宗教、教派に依拠した宗教教育は行ってはならないが、クリスマス行事程度であれば容認される場合が多い。

公立の幼稚園
管理・運営は基本的に市町村教育委員会が行う。都道府県の教育委員会が管理・運営する幼稚園はほとんど見られない。

公立幼稚園の教職員については、当該公立幼稚園を設置する市町村教育委員会が、採用(任命)し、給与を負担する。
公立の小学校・中学校・高等学校・中等教育学校
管理・運営は各地方公共団体の教育委員会が行う。

基本的に小中学校は市町村教育委員会、高等学校は都道府県教育委員会が管理・運営をするが、中高一貫の中学校では都道府県立の場合もある。
高等学校については、基本的に都道府県教育委員会が管理・運営を行うが、市町村教育委員会でも設置・運営することができる。
公立小中学校・中等教育学校の前期課程に勤務する教職員(校長・教頭・教諭・助教諭・養護教諭・養護助教諭・学校栄養職員・事務職員)の任命権者は、都道府県教育委員会であり、給与を負担している(→県費負担教職員を参照)が、用務員、給食調理員などの単純労務職員については市町村教育委員会が任命権者であり、市町村が給与負担者である。また、市町村によっては、小中学校に県費負担の事務職員のほかに市町村費の事務職員を置いているところもある。
市町村立の中等教育学校の後期課程、高校の教職員については基本的に市町村教育委員会が任命権者であり、給与の負担者であるが、定時制課程の教員については都道府県教育委員会が任命権者であり、給与負担者である。
県立中等教育学校・高校の教職員については、都道府県教育委員会が任命権者であり、給与の負担者である。
特に公立の小学校・中学校では、ゆとり教育政策のため、学習指導要領に準拠した教育を行なわなければならないため、学力低下に対する危惧の声がある。また学級崩壊やいじめなども発生しやすく、これらの問題を避けるため、国立・私立学校に入学するための小学校受験や中学入試の人気が高くなっている。

ほとんどの公立小中学校は入学試験がなく、学齢に達した日本人には住民票と連動して就学通知が送られ、地元の公立小学校に入学できる。公立中高一貫校では作文や実技などによる試験がある場合もある。

公立高校は、入試で内申書が重視されたり、地域によっては総合選抜・学校群制度(グループ制)や学区制などがあるため、希望した学校に進学できなかったり通学区域が制限されたりするなどの特徴がある。そのせいなのか、1970年代ごろから難関大学の合格者が急減している。

基本的には、設置・管理・運営は都道府県教育委員会であるが、市町村教育委員会でも設置・管理・運営することがきる。

都道府県立・市町村立いずれの場合でも、盲・聾・養護学校の教職員は都道府県教育委員会が任命権者であり、給与の負担者である。但し、市町村立盲・聾・養護学校に勤務する単純労務職員については市町村が任命権者・給与負担者である。
タグ:公立高校
posted by 塾長 at 04:04 | 日記

管理教育

管理教育(かんりきょういく)

保守管理、危機管理などの管理に関する職業教育。
教育方針のひとつ。以下で述べる。
管理教育(かんりきょういく)とは、学校(教員)が一元的に児童・生徒の在り方を決定し、児童・生徒が学校の意思決定に参加しない教育方針のうち、特に初等・中等教育を運営していくに際し一般的にやむを得ないと考えられる範囲を超え、行き過ぎと考えられるものの通称である。日本の戦前の教育全般をさしても使われる。ただし、戦前でも大正デモクラシーの時期に、児童の自主性・自発性を重視しようとする大正自由教育運動が盛り上がりを見せた。

戦後は、高度経済成長期の義務教育が、比較的管理教育の傾向が強かったとされる。当時の文部省としても、児童・生徒が協調性のある労働者に育ってくれることを望んでおり、教員たちも児童・生徒の団結力を培おうとしていた。その課程において、時として一部の地域において極端な行き過ぎが見られた。それが現在一般的に管理教育と呼ばれるものである。児童生徒を人間ではなく、管理される“モノ”扱いした事からこの名がある。

児童会がある。高学年の児童が役員を担当しているが、小学生段階では自律が困難であるからして社会参加の訓練もしくは自治活動の模擬体験という性質をもっている。教員が適切な指導・助言を行う必要がある。
小学生段階での意思決定訓練としては、児童会活動よりも、ゆとり教育の象徴的存在である総合的な学習の時間を活用したほうがより児童の発達に適合した訓練になると思われる。
中学校・高等学校
生徒会がある。ただし生徒の自治組織ではなく、あくまで教育の一環であり、生徒会が全会一致で決めたことでも職員会議で否決できる。児童の権利に関する条約以降、校則や制服に対する要望も学校が聞き入れる傾向にある。1970年前後の学園紛争の時期も、生徒会の発言力が強まった。学年単位の級長会のような組織もあり生徒会よりも顧問の教師の権威が強く生徒たちから最も恐れられていた場合もある。
大学
自治を持つ大学と持たない大学とに大きく分かれる。
自治を持つ大学の学生は、学生自治会は労働組合と同様に当局と対等に交渉できることが多い。
自治のない大学は、ともすれば高校生の延長として待遇され、学生自治会は存在しないか、あったとしても当局の助言と指導があった上のこととなる。

管理教育の地域性

千葉県
1980年代から90年代前半、「東の千葉、西の愛知」と呼ばれる管理教育の雄として有名だった。
特に松戸市、柏市などの東葛地域北部で校則が厳しく、野田市、流山市、我孫子市などでは全ての中学校で丸刈りを強制する校則があった。
体罰もしばしば問題になった。我孫子市のある中学校の生徒3人が、柏市内の喫茶店に置かれていた落書き帳に体育教師の悪口を書き込んだところ、同校の生徒が当該教師に密告し、書き込んだ3人は放課後に当該教師(「俺は裁判官であり、警察官であり、教師だ」と発言)から激しい体罰を受けた。また、柏市内のある中学校では「第2会議室」と称する部屋でしばしば体罰が行われ、生徒の間で「リンチ室」と呼ばれていた。
流山市のある中学校では修学旅行時、駅のホームで衆人環視の中、「集合の歌」と称して生徒全員に輪唱をさせていた。
東葛地域北部の中学校では現在も、登下校時を除いて(体育以外の座学授業時も)学校指定のジャージを着用する。夏季(6〜9月)は座学授業や清掃時には半袖の体操服とトレパンを着用する(ブルマーの廃止後は、体操服に短パンまたはハーフパンツで過ごす生徒も多い)。
柏市内の一部の小学校ではかつて、登下校時を除いて体操服、短パン、ブルマーを着用させた。このことへの慣れにより、中学校でのジャージ着用も抵抗なく自然と受け入れられた。
八千代市の小学校ではかつて、背番号をつけた体操服を着用し、2時間目と3時間目の間に軍隊的な「業間体育」が全児童に強制で行われていた。市内の某小学校長が「『日本陸軍作戦要務令』の内容は指導の参考になる」と発言し物議を醸す。なお、「業間体育」そのものは鎌ケ谷市の小学校でもあったが、内容はなわとびや持久走、球技など通常の体育授業と変わらないもので、軍隊的要素はなかった(全児童への強制という点は同じ)。
中学校、県立高等学校の体育の授業は概ね軍隊的であった。
1990年代初め頃まで、東葛地域北部の一部の中学校では体育祭の入場行進の際、来賓席に向かってのナチス式敬礼を生徒に強制していた。
学校によっては県民体操の「なのはな体操」を短期間に強制的に覚えさせられ、正確に出来なければ体罰が行われた。
学校給食の指導も厳しく、無言で時間内に食べ終わることを強制する。担任教員にもよるが、給食時間に私語をすると「つばが飛ぶ」などと叱責されることがあった。また給食を残すことが許されず、放課後まで残してでも全部食べさせたり、給食を残した児童が教員に仰向けに押さえ付けられ、給食を口に押し込められることも起こった。これらは偏食(好き嫌い)をなくすためという大義名分があったが、トラウマにより好き嫌いをむしろ助長したり、時間内に食べ終えようとするため、よく噛まないで食べることが習慣化するといった弊害を生んだ。なお、千葉県は「三角食べ」(食べる内容の順序のきまり)強制の発祥の地とされる。
松戸市内の小学校では、校内全域の廊下と階段にセンターラインと横断歩道の白線が表示され、児童は廊下通行の規則に従わなければならず、違反者はその場で体罰を受けた。また、児童で組織される「交通安全委員会」が廊下の通行を監視し、規則違反者は発見次第、取り押さえて記録をし、その場で体罰を行使する権限を与えられていた。なお、松戸市には交通ルールを指導する市立の交通公園が設置されており、ここでも児童は安全指導を受ける。
(松戸市内の公立小学校で実施されていた校内交通規則の一部) 1.廊下を渡るときは横断歩道を使うこと。そのとき一旦停止をし、手をあげて首を振って「右・左・右」を確認しなければならない、2.センターラインの右側を通行しなければならない、3.廊下を歩くときはなるべく手を後ろに組むこと、4.廊下を走ってはならない、5.違反をしたら交通安全委員の指示に従い体罰を受けること
正規のPTAを組織させないで学校長主導の保護者組織をつくり、管理教育や体罰を推進するための組織運営をする。
社会の流行を追うこと、社会に関心を持つことを禁止された。流行りの文具を使用禁止、流行歌を歌うことを禁止、ゲーム禁止、趣味の禁止など。
生徒が授業中にあくびをした原因が深夜放送であると発覚したところ、教員が家庭に乗り込んで来てラジオを没収、破壊した例もあった。
生徒を管理するために暴力的な生徒を教師が利用する一方で、見せしめとして苦情のこない生徒や大人しい生徒への執拗な嫌がらせや体罰を行う。
管理教育に対する生徒の不満が高まってくると、「こんなことが教育委員会にばれれば先生は教師を辞めなければならない。しかし君たちのためにやっているんだ」と教員が発言し、管理教育を正当化する説教がしばしば行われた。

愛知県
三河地方を中心に、一部の中学校と高等学校で比較的強いと言われる。当県の教育を象徴するのが「形から入る教育」という言葉である。
中学校
岡崎市、新城市、宝飯郡の一部の公立中学でかつて丸刈り校則が問題となった。
丸刈り校則だけでなく、他市町村への外出に教諭の許可を取って生徒の行動を監視している中学もある。
1990年代初め頃まで、岡崎市の中学校では体育祭の入場行進の際、来賓席に向かってのナチス式敬礼を生徒に強制していた。
高等学校への進路指導も管理色が強く、尾張・三河の二大学区制の建前ながら、中学校が管理することで、中間成績層の生徒の進学先が所在中学校の周辺に制限され、所在中学校との交流の少ない高等学校への進学希望にクレームを付けられることがある。実際の学区制以上に高校進学が不本意に変更させられるケースも生じ、一部難関高と底辺高以外は二大学区制の建前が運用されていない。また、高校側でも旧豊田市内の高校が、北設楽郡出身の中学生を学区外入学でないにもかかわらず、ボーダーラインで不合格の対象として入学を規制したケースがあり、旧稲武町が北設楽郡から東加茂郡に郡を鞍替えする原因となった。
高等学校
県立東郷高等学校(1968年創立)で、「マル東訓練」(時間割表に「○に東」の記号で表されていた為この名がある)という軍事教練まがいの集団行動訓練が行われ、スパルタ式の代表校と批判を浴びることがある(1982年には訓練の強制を苦にして生徒が自殺している)。
東郷高校創立以降の新設県立高校も、東郷高校に類似した管理教育色の強い高校が多く、難易度下位の県立高校ほど、生徒の行動を厳しく規制する校則を採用している高校、厳しい規律の校風の高校が多い。
反面、旭丘高校、岡崎高校、時習館高校等伝統のある難関県立高では校則が比較的緩い、自由を尊ぶ校風の高校が多く、「一種の学校階級社会を生んでいる」という意見がある。
入学試験で内申書を重視する点数配分から、上記の難関県立高の受験は15歳の春に事実上限られるため、新設県立高の管理教育が「過剰ともいえる地方国立大学への受験傾向を生む原因、名古屋に"JAL"(上智、青学、立教)や"関関同立"のような全国的に高い評価を得る私立大学が育たない原因」とする意見もある。
教育委員会が愛知県から独立している名古屋市は愛知県への対抗意識が強く、その影響か名古屋市立の高校は自由な校則、校風の学校が多い。
かつては、こうした指導が社会人になって以降役立てられているという評価もあったが、学校・教師が児童・生徒の心身に対して干渉できる範囲を逸脱しすぎているという評価も根強かった。近年では、現場からのイノベーションが企業経営において重要視されるなど社会通念の変化によって、独創性のあまりにも欠けた労働者は歓迎されなくなり(指示を受けるまで動けない、“歯車の一個”以外に使い道がない)、前者の意見は一時の勢いを失っている。

兵庫県
神戸や姫路、県北部、淡路島(洲本市を除く)の公立中学で丸刈り校則が問題になった。神戸は海軍、姫路は陸軍の伝統が強いためにこのような制度が取られていたとされるが、これは不登校の原因にもなった。
私立では神戸の六甲学院、播州では白陵高等学校も丸刈りを採用していた。一方で淳心学院高等学校など自由な校風を謳う学校も存在した。
1990年、神戸高塚高等学校で門限間際に登校しようとした生徒が、教諭が閉めようとした校門に挟まれて死亡する事件が発生した。
旧多紀郡(現・篠山市)のある中学校では、「自宅から電柱3本以上の外出は制服を着用」など、学校内外の生活について校則で細かく定めていた。

南九州(熊本県・宮崎県・鹿児島県)
早朝、定時後、長期休暇中の強制学習で生徒を管理し、国立大学への現役合格者を多数あげることで有名な学校が、鹿児島県、宮崎県といった南九州に多い。鹿児島県立甲南高等学校が代表例である。但し、大学進学後、大学を留年・中退する生徒が多いことで問題視されるようになった。
なお、甲南高校の教育方針は、愛知県の五条高校、岐阜県の可児高校にも導入され、甲南高と同様、その管理色が問題視されることがある。
宮崎県では、高校になってもフルネームの名札を着用させるケースが多い。
熊本県、鹿児島県では現在も丸刈り強制の校則が存在する中学校がある(奄美大島、徳之島など)。

その他
戸塚ヨットスクール(愛知県美浜町)における体罰が社会的に取りざたされたこともある。
中学の管理教育に反発して制服等を着用しなかった愛知県豊橋市の私塾経営者の息子兄弟が、教諭によって行動問題児とされたため、内申書評価のある高校進学を断念して、大学入学資格検定に挑戦。16歳で合格し、1982年に長男が東大理科III類、1983年に次男が京大経済学部、1987年に長女が京大文学部に合格したことが話題になった。ドラマ『中卒・東大一直線 もう高校はいらない!』の原案。
この様な管理教育が徹底された県からは、芸術分野で優れた業績を残す者が極めて過少である問題も、依然として横たわっている。特に愛知県が深刻であり、複数の音楽大学を持つにも関らずここ数年は世界進出を試みた県民はいても、果たした音楽家はいない。
タグ:管理教育
posted by 塾長 at 03:57 | 日記

個別指導

個別指導(こべつしどう)とは、主に学習塾などで行われている指導方法の一つである。一斉授業で行われている集団指導の反意語である。

定義
個別指導の定義は、非常に曖昧である。学習塾ごとが独自の定義を持っており、個別指導塾と名乗っていても、1回の授業で1人の講師が担当する生徒数は異なる。

多くの塾では、1回の授業で講師1人が生徒2人を担当する1対2授業、生徒3人を担当する1対3授業が行われる。しかし、1対4、1対5、または、1対10でも個別指導を名乗る塾もあり、結局、生徒何人までを個別指導といい、何人以上を集団指導というかに明確な決まりはない。

広義では、1対1の、いわゆるマンツーマン指導も個別指導に入るが、個人指導という言葉を使うことも多い。しかし、個別指導と混同することも多く、これも明確な決まりはない。

個別指導塾の増加
近年、個別指導塾が増加傾向にある。全国展開している大手塾から、個人経営の中小塾まで、その形体は様々である。また、代々木ゼミナール、河合塾、東進ハイスクールなどのように、個別指導部門を併設しているか、別に個別指導塾を保有している大手大学受験予備校も、多数存在する。

増加の理由
個別指導塾が増加する理由としては、大きく分けて3つある。

1つめは、塾は机が数台、本棚、電話機、コピー機、パソコン、事務机などの備品と教材、数坪程度の僅かなスペースがあれば開塾できる。自宅の一室で開塾し、備品も自宅にある物を使用すれば、数十万程度の開設資金で済む場合があり、本部側にとって異業種に比べると設備の調達が容易なのである。(ただし、開業する側にとっては多額の加盟金を要求する塾もあり、事業資金上のメリットはあまりない)

2つめは、講師確保である。個別指導は、一度に数十人から百数十人を相手にする集団授業と比べ、指導技術は特に必要ないとされる。集団授業は、大人数をひきつけておくための人間的魅力、話術などが必要であるが、個別指導は、ほとんどの塾が演習中心の授業内容のため、集団指導ほどの話術は必要なく、指導書やマニュアルがあれば、学力も余り必要とはされない。従って、訓練を積んだプロ講師ではなくても、授業を担当することが可能なのである。当然のことながら、プロ講師を募集するよりも、時間契約のアルバイト講師を募集する方が簡単で、実際個別指導のほとんどが学生アルバイトである。なお、良心的な個別指導塾の中には、アルバイト講師でも徹底した訓練を積み、多数のプロ講師と契約している場合もある。この様な塾は、良質な授業を提供しているため、区別して考えなければならない。

3つめは、フランチャイズ塾の存在である。この理由については、以下に、別の項目を設けて説明する。

フランチャイズと個別指導
フランチャイズ形式の個別指導塾は、塾本部と各教室の経営者(塾長、室長、塾頭などと呼ばれる)であるオーナーが契約を締結し、経営者は本部から塾名の使用権、経営ノウハウなどを享受し、経営者はその見返りとして、ロイヤリティーを支払う塾のことである。代表的なフランチャイズには、明光義塾(約1500教室)、早稲田育英ゼミナール(約320教室)、ITTO個別指導学院(約320教室)、ドクター関塾(約250教室)、スクールIE(平成18年ブランド名変更 旧名 IE一橋学院などがあり、加盟数を伸ばしているフランチャイズが多い。フランチャイズ場合、授業カリキュラム、授業料、教材、授業進行などにある程度の共通部分は見られるものの、最終的な経営判断、教育方針の設定などは各教室の経営者が行うため、教室間により、運営方法などが異なる場合が見受けられる。よって、大手個別指導塾であっても、フランチャイズの場合は、小規模塾の集合体とも言い換えることが出来る。なお、各本部が直接経営に参画する、直営方式の教室も存在する。

経営者から見たフランチャイズのメリット
フランチャイズ本部は、経営者に対し、様々なノウハウを提供する。経営、授業運営はもちろんのこと、教材の提供、模擬試験の実施、広告宣伝、講師の採用、講師の研修なども本部が行うことがある。よって、経営者は、塾経営に関する知識がなくても、塾を開くことが出来る。また、余計なことを考えず、各教室の運営に集中できることも利点の一つである。さらに、近隣の教室と共同で広告を出すことができ、広告宣伝費の節約にも繋がる。また、ある程度、市場に浸透している塾名を使用することが出来るため、生徒の獲得が有利に進むことがある。

経営者から見たフランチャイズのデメリット
塾名の使用、経営ノウハウの提供の見返りとして発生するロイヤリティーは、最初に考えなければいけないデメリットである。通常は、売り上げの数パーセントと定められている。この他、備品を本部の指定業者から購入しなければならなかったり、模擬試験や教材も本部を通すため、実際の市場価格よりも高いことがある。また、経営者が期待するほどの経営指導が受けられず、訴訟に発展する例もある。この他、生徒が集まらず、数ヶ月で閉鎖するケースもあるので、開塾する際には慎重に検討しなければならない。

消費者から見たフランチャイズのメリット
フランチャイズの場合、各教室は小規模であっても、塾全体から見れば数千人から数万人の生徒が在籍している。このため、本部と教室の情報交換が活発にされているフランチャイズ塾であれば、様々な成功例、失敗例が各教室に伝達される。よって、質の向上が期待できることがある。また、本部が主催する進学相談会、模擬試験などがある場合もあり、情報を得ることが出来る。

消費者から見たフランチャイズのデメリット
フランチャイズに加盟する経営者は、通常は、余り塾経営に詳しくない。そのため、授業の質、講師の質の良し悪しを見分けることが出来ず、質の悪い授業を提供している場合がある。また、これはフランチャイズだけの問題ではないが、塾長が教育者より、経営者としての立場を取っている場合、利益優先主義となり、ある程度サービスの質が犠牲となる。この他、フランチャイズの場合、講師の時給が本部によって定められており、また個人経営の塾よりも安価であることが多々あるため、良質の講師を確保しにくいなどの問題もある。

別指導の主なターゲット
個別指導は、学校の授業のサポートをする補習塾としての機能を有している場合が多く、学校の授業についていけない低学力層が中心である。一方で、進学に力を入れている塾もあり、この様な塾では、成績上位の生徒をターゲットとする。また、補習塾と進学塾の性格を兼ね揃えた総合型の塾もあり、この様な塾では、低学力層から高学力層まで幅の広い生徒をターゲットとする。この他、大学受験専門、中学受験専門、不登校児童生徒の受け入れなど、塾ごとの特色を打ち出していることがある。
タグ:個別指導
posted by 塾長 at 03:53 | 日記

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