2006年09月06日

東大寺

東大寺学園は奈良県奈良市にある比較的新興の中高一貫校。東大寺を母体として1926年5月4日開校。当初は勤労青年を対象とした夜間旧制中学だったが、1963年に全日制課程を新設し現校名に改称、1977年を最後に定時制課程を休止し全日制のみとなる。

なお、関係者は前身が定時制中学であったことを公言してはばからないが、実際、現在ある「東大寺学園」は定時制とは別に、まっさらに作られた新しい全日制の学校が存続している物である。

奈良県の北の端、高の原駅が最寄駅であるが、徒歩20分程度を要する。通学時間帯のみ、奈良交通バスが運行されるが、多くの生徒は歩いて通っている。隣の平城駅から通学する生徒も少なからずいるが、やはり徒歩20分程度を要する。平城駅を利用するのは、主に近鉄奈良線(生駒・難波方面)から来て、隣の大和西大寺駅で乗り換える生徒のようである。大和西大寺駅から平城駅までは約10分なので、大和西大寺駅から歩くと約30分で到着できる。

日本テレビの「高校生クイズ」で最多の出場回数を記録している(2005年時点で15回)。

大学合格実績
東大寺学園は極めて自由な校風であり、それゆえに同じような学風を求めてあえて京都大学へ進む生徒が多い。東京大学合格者数は30人前後、京都大学合格者数は90人前後と安定している(学年の半数以上が東大京大へ進学)。京都大学への合格率(合格者数÷卒業生数)は近年ずっとトップであり、現役合格率も同様にずっとトップである。また「東京大学・京都大学・その他の国公立大学医学部医学科」への合格者数が150人前後(現役が約100、浪人が約50)に安定している。1学年の生徒数は220人(高校)なので、約7割の生徒が最終的に上記へ進学していることになる。上記への実績を基準としているのは、医学科以外の京都大学へ合格できる学力をもった生徒が、医者を志望してその他の国公立大学の医学科へ進むケースが増え、実際の学力水準がそのまま東大・京大の合格者数に反映されなくなってきたためである。


概要
制服の着用義務がない(私服通学)ほか、明文化された校則を有せず、風紀について大部分を生徒の良識に委ねるなど、自由な校風を特徴とする。生徒手帳が無く、代わりに生徒証という三つ折のカードがある。仏教系の学校では珍しく、設立当初から宗教教育が全く行われていない。現在は入学式・卒業式の際に東大寺の僧が挨拶に来る程度であり、それらしきものとしては旧校舎時代、登校時に大仏殿に向かって一礼するのが慣習だったのみである。当初校舎は東大寺境内(南大門の横)にあり、狭く運動場も借用だったが(日本一狭い中高、と自嘲する教師もいた)、生徒の自主性を育む指導は高い評価を得、文部省の官僚が時たま視察にきた。「学校の価値というのは校地の広さによらない、ということを体現している」との言葉をいただく。校舎を移転した今でも地元の奈良旧市街での人気は根強く、奈良市内通学者のうち相応の割合を占める。毎年5月2日には東大寺で「聖武祭(聖武天皇祭)」が開催され、この日は休校日となっている。高校生はこの行列参加など東大寺関係のアルバイトをすることができる。旧校舎時代の名残か、生徒証を見せると大仏殿をタダで拝観できる。毎年9月には生徒の手で「菁々祭(せいせいさい)」という文化祭が催される(通例第2週の土日)。恒例企画に「Mr.美少女コンテスト(美女コン)」なるものがあり、参加希望生徒が女装してパフォーマンスを行う。最近はOBの講演会が催され、映画監督の高橋伴明や京大医学部出身プロボクサーの川島実、外務省の某氏が招かれている。ほか室内学部の定期演奏会、教師による体験授業、保護者によるお茶会などがあり、通常の来客だけでなく小学生やその保護者も楽しめる内容となっている。クラブ活動も活発で、運動系は多くが毎年近畿大会へ進み、どこかの部が全国大会へ出場している。文化系では百人一首部・囲碁将棋部などが強豪であり、将棋の個人戦では県上位を独占し、近年全国大会でも優勝した。生徒の自由に任せているため、高3までクラブを続ける者もいる。なお最近は伝統のクイズ研究会が同好会からクラブに昇格し、今後の活動が注目される。


沿革
1926年5月4日 金鐘中等学校設立認可
1943年4月28日 金鐘中等学校を金鐘中学校と改称
1947年4月1日 青々中学校設立認可(→現在の東大寺学園中学校)
1948年3月3日 学制改革により金鐘中学校を金鐘高等学校(定時制)と改称
1963年4月1日 全日制高等学校を開設。東大寺学園中学校・高等学校と改称
1974年3月31日 定時制課程を停止
1986年4月1日 東大寺境内にあった旧校舎から、現在の場所に移転

設立の経緯
1947年の学制改革の折、「旧制中学のような新制中学」を求めた市民運動が起源。奈良市立小学校(主に椿井小学校)の父兄が、公立中学校への失望感からスクラムを組んで立ち上げた運動である。この運動に東大寺の清水公照氏(初代校長)が関わっており、東大寺の学僧も協力して、昼間空いている金鐘中学校(翌年金鐘高校)の校舎を使って設立された。当初から入学倍率が高く、またたくまに県内トップ私立中と化した。当初「仮称平城中学校」として募集し、1回生が入学したあと5月に公募の結果を受け「青々(せいせい)中学校」と正式決定した。由来は詩経の「菁々」。これが現在の東大寺学園中学校である。


高校を増設
学校法人金鐘学院は、金鐘高校と青々中学校という、目的も形態も全く異なる学校を経営していた。この2校に接点はあまりなく、それゆえ青々中学校の卒業生はいったん高校受験をし、奈良県立奈良高等学校(ほとんど全員がここへ進学)や奈良女子大学附属高等学校といった県内上位高校を経由して大学へ進学していた。「これではあまりに不便だ」という声が内部から出、「せっかく育てた生徒を他の学校にとられるのは惜しい」といった声もあいまって、青々中学校に高校(仮称青々高校)を増設することになった。これが現在の東大寺学園高校である。この高校はほぼ100%、青々中学校卒業生の受け皿であり、外部からの新規入学は数名のみだった。高校1期生(第14回生)の97名は、卒業時(1966年)に東大1京大7阪大4という実績をだし、以後漸増してゆき現在に至る。


名称を統一
1963年4月、念願の「青々高校(仮称)」ができたわけだが、法人の経営する全ての学校を新名称で統一することになった。結局「東大寺学園」という無難な名前に落ち着き、青々系は「東大寺学園中学校・高校」、金鐘系は「東大寺学園高校定時制」、女学校は「東大寺学園女子学院」、幼稚園は「東大寺学園幼稚園」と一斉に名称統一した。


同窓会
以上のような歴史があるため「東大寺学園高校」の同窓会は「青々中学校」と合同であり、名称は「同窓会菁々」。1回生〜13回生は青々中学校OBで構成、14回生以後は東大寺学園高校OBで構成、というかたちになっている。2005年3月卒業生が53回生であり、会員数は約7500名。「同窓会菁々」以外に「金鐘中等学校」-「東大寺学園高校定時制」のラインの同窓会(約1500名)もあり、別に構成されている。

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タグ:東大寺
posted by 塾長 at 04:22 | 日記
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