2006年09月06日

管理教育

管理教育(かんりきょういく)

保守管理、危機管理などの管理に関する職業教育。
教育方針のひとつ。以下で述べる。
管理教育(かんりきょういく)とは、学校(教員)が一元的に児童・生徒の在り方を決定し、児童・生徒が学校の意思決定に参加しない教育方針のうち、特に初等・中等教育を運営していくに際し一般的にやむを得ないと考えられる範囲を超え、行き過ぎと考えられるものの通称である。日本の戦前の教育全般をさしても使われる。ただし、戦前でも大正デモクラシーの時期に、児童の自主性・自発性を重視しようとする大正自由教育運動が盛り上がりを見せた。

戦後は、高度経済成長期の義務教育が、比較的管理教育の傾向が強かったとされる。当時の文部省としても、児童・生徒が協調性のある労働者に育ってくれることを望んでおり、教員たちも児童・生徒の団結力を培おうとしていた。その課程において、時として一部の地域において極端な行き過ぎが見られた。それが現在一般的に管理教育と呼ばれるものである。児童生徒を人間ではなく、管理される“モノ”扱いした事からこの名がある。

児童会がある。高学年の児童が役員を担当しているが、小学生段階では自律が困難であるからして社会参加の訓練もしくは自治活動の模擬体験という性質をもっている。教員が適切な指導・助言を行う必要がある。
小学生段階での意思決定訓練としては、児童会活動よりも、ゆとり教育の象徴的存在である総合的な学習の時間を活用したほうがより児童の発達に適合した訓練になると思われる。
中学校・高等学校
生徒会がある。ただし生徒の自治組織ではなく、あくまで教育の一環であり、生徒会が全会一致で決めたことでも職員会議で否決できる。児童の権利に関する条約以降、校則や制服に対する要望も学校が聞き入れる傾向にある。1970年前後の学園紛争の時期も、生徒会の発言力が強まった。学年単位の級長会のような組織もあり生徒会よりも顧問の教師の権威が強く生徒たちから最も恐れられていた場合もある。
大学
自治を持つ大学と持たない大学とに大きく分かれる。
自治を持つ大学の学生は、学生自治会は労働組合と同様に当局と対等に交渉できることが多い。
自治のない大学は、ともすれば高校生の延長として待遇され、学生自治会は存在しないか、あったとしても当局の助言と指導があった上のこととなる。

管理教育の地域性

千葉県
1980年代から90年代前半、「東の千葉、西の愛知」と呼ばれる管理教育の雄として有名だった。
特に松戸市、柏市などの東葛地域北部で校則が厳しく、野田市、流山市、我孫子市などでは全ての中学校で丸刈りを強制する校則があった。
体罰もしばしば問題になった。我孫子市のある中学校の生徒3人が、柏市内の喫茶店に置かれていた落書き帳に体育教師の悪口を書き込んだところ、同校の生徒が当該教師に密告し、書き込んだ3人は放課後に当該教師(「俺は裁判官であり、警察官であり、教師だ」と発言)から激しい体罰を受けた。また、柏市内のある中学校では「第2会議室」と称する部屋でしばしば体罰が行われ、生徒の間で「リンチ室」と呼ばれていた。
流山市のある中学校では修学旅行時、駅のホームで衆人環視の中、「集合の歌」と称して生徒全員に輪唱をさせていた。
東葛地域北部の中学校では現在も、登下校時を除いて(体育以外の座学授業時も)学校指定のジャージを着用する。夏季(6〜9月)は座学授業や清掃時には半袖の体操服とトレパンを着用する(ブルマーの廃止後は、体操服に短パンまたはハーフパンツで過ごす生徒も多い)。
柏市内の一部の小学校ではかつて、登下校時を除いて体操服、短パン、ブルマーを着用させた。このことへの慣れにより、中学校でのジャージ着用も抵抗なく自然と受け入れられた。
八千代市の小学校ではかつて、背番号をつけた体操服を着用し、2時間目と3時間目の間に軍隊的な「業間体育」が全児童に強制で行われていた。市内の某小学校長が「『日本陸軍作戦要務令』の内容は指導の参考になる」と発言し物議を醸す。なお、「業間体育」そのものは鎌ケ谷市の小学校でもあったが、内容はなわとびや持久走、球技など通常の体育授業と変わらないもので、軍隊的要素はなかった(全児童への強制という点は同じ)。
中学校、県立高等学校の体育の授業は概ね軍隊的であった。
1990年代初め頃まで、東葛地域北部の一部の中学校では体育祭の入場行進の際、来賓席に向かってのナチス式敬礼を生徒に強制していた。
学校によっては県民体操の「なのはな体操」を短期間に強制的に覚えさせられ、正確に出来なければ体罰が行われた。
学校給食の指導も厳しく、無言で時間内に食べ終わることを強制する。担任教員にもよるが、給食時間に私語をすると「つばが飛ぶ」などと叱責されることがあった。また給食を残すことが許されず、放課後まで残してでも全部食べさせたり、給食を残した児童が教員に仰向けに押さえ付けられ、給食を口に押し込められることも起こった。これらは偏食(好き嫌い)をなくすためという大義名分があったが、トラウマにより好き嫌いをむしろ助長したり、時間内に食べ終えようとするため、よく噛まないで食べることが習慣化するといった弊害を生んだ。なお、千葉県は「三角食べ」(食べる内容の順序のきまり)強制の発祥の地とされる。
松戸市内の小学校では、校内全域の廊下と階段にセンターラインと横断歩道の白線が表示され、児童は廊下通行の規則に従わなければならず、違反者はその場で体罰を受けた。また、児童で組織される「交通安全委員会」が廊下の通行を監視し、規則違反者は発見次第、取り押さえて記録をし、その場で体罰を行使する権限を与えられていた。なお、松戸市には交通ルールを指導する市立の交通公園が設置されており、ここでも児童は安全指導を受ける。
(松戸市内の公立小学校で実施されていた校内交通規則の一部) 1.廊下を渡るときは横断歩道を使うこと。そのとき一旦停止をし、手をあげて首を振って「右・左・右」を確認しなければならない、2.センターラインの右側を通行しなければならない、3.廊下を歩くときはなるべく手を後ろに組むこと、4.廊下を走ってはならない、5.違反をしたら交通安全委員の指示に従い体罰を受けること
正規のPTAを組織させないで学校長主導の保護者組織をつくり、管理教育や体罰を推進するための組織運営をする。
社会の流行を追うこと、社会に関心を持つことを禁止された。流行りの文具を使用禁止、流行歌を歌うことを禁止、ゲーム禁止、趣味の禁止など。
生徒が授業中にあくびをした原因が深夜放送であると発覚したところ、教員が家庭に乗り込んで来てラジオを没収、破壊した例もあった。
生徒を管理するために暴力的な生徒を教師が利用する一方で、見せしめとして苦情のこない生徒や大人しい生徒への執拗な嫌がらせや体罰を行う。
管理教育に対する生徒の不満が高まってくると、「こんなことが教育委員会にばれれば先生は教師を辞めなければならない。しかし君たちのためにやっているんだ」と教員が発言し、管理教育を正当化する説教がしばしば行われた。

愛知県
三河地方を中心に、一部の中学校と高等学校で比較的強いと言われる。当県の教育を象徴するのが「形から入る教育」という言葉である。
中学校
岡崎市、新城市、宝飯郡の一部の公立中学でかつて丸刈り校則が問題となった。
丸刈り校則だけでなく、他市町村への外出に教諭の許可を取って生徒の行動を監視している中学もある。
1990年代初め頃まで、岡崎市の中学校では体育祭の入場行進の際、来賓席に向かってのナチス式敬礼を生徒に強制していた。
高等学校への進路指導も管理色が強く、尾張・三河の二大学区制の建前ながら、中学校が管理することで、中間成績層の生徒の進学先が所在中学校の周辺に制限され、所在中学校との交流の少ない高等学校への進学希望にクレームを付けられることがある。実際の学区制以上に高校進学が不本意に変更させられるケースも生じ、一部難関高と底辺高以外は二大学区制の建前が運用されていない。また、高校側でも旧豊田市内の高校が、北設楽郡出身の中学生を学区外入学でないにもかかわらず、ボーダーラインで不合格の対象として入学を規制したケースがあり、旧稲武町が北設楽郡から東加茂郡に郡を鞍替えする原因となった。
高等学校
県立東郷高等学校(1968年創立)で、「マル東訓練」(時間割表に「○に東」の記号で表されていた為この名がある)という軍事教練まがいの集団行動訓練が行われ、スパルタ式の代表校と批判を浴びることがある(1982年には訓練の強制を苦にして生徒が自殺している)。
東郷高校創立以降の新設県立高校も、東郷高校に類似した管理教育色の強い高校が多く、難易度下位の県立高校ほど、生徒の行動を厳しく規制する校則を採用している高校、厳しい規律の校風の高校が多い。
反面、旭丘高校、岡崎高校、時習館高校等伝統のある難関県立高では校則が比較的緩い、自由を尊ぶ校風の高校が多く、「一種の学校階級社会を生んでいる」という意見がある。
入学試験で内申書を重視する点数配分から、上記の難関県立高の受験は15歳の春に事実上限られるため、新設県立高の管理教育が「過剰ともいえる地方国立大学への受験傾向を生む原因、名古屋に"JAL"(上智、青学、立教)や"関関同立"のような全国的に高い評価を得る私立大学が育たない原因」とする意見もある。
教育委員会が愛知県から独立している名古屋市は愛知県への対抗意識が強く、その影響か名古屋市立の高校は自由な校則、校風の学校が多い。
かつては、こうした指導が社会人になって以降役立てられているという評価もあったが、学校・教師が児童・生徒の心身に対して干渉できる範囲を逸脱しすぎているという評価も根強かった。近年では、現場からのイノベーションが企業経営において重要視されるなど社会通念の変化によって、独創性のあまりにも欠けた労働者は歓迎されなくなり(指示を受けるまで動けない、“歯車の一個”以外に使い道がない)、前者の意見は一時の勢いを失っている。

兵庫県
神戸や姫路、県北部、淡路島(洲本市を除く)の公立中学で丸刈り校則が問題になった。神戸は海軍、姫路は陸軍の伝統が強いためにこのような制度が取られていたとされるが、これは不登校の原因にもなった。
私立では神戸の六甲学院、播州では白陵高等学校も丸刈りを採用していた。一方で淳心学院高等学校など自由な校風を謳う学校も存在した。
1990年、神戸高塚高等学校で門限間際に登校しようとした生徒が、教諭が閉めようとした校門に挟まれて死亡する事件が発生した。
旧多紀郡(現・篠山市)のある中学校では、「自宅から電柱3本以上の外出は制服を着用」など、学校内外の生活について校則で細かく定めていた。

南九州(熊本県・宮崎県・鹿児島県)
早朝、定時後、長期休暇中の強制学習で生徒を管理し、国立大学への現役合格者を多数あげることで有名な学校が、鹿児島県、宮崎県といった南九州に多い。鹿児島県立甲南高等学校が代表例である。但し、大学進学後、大学を留年・中退する生徒が多いことで問題視されるようになった。
なお、甲南高校の教育方針は、愛知県の五条高校、岐阜県の可児高校にも導入され、甲南高と同様、その管理色が問題視されることがある。
宮崎県では、高校になってもフルネームの名札を着用させるケースが多い。
熊本県、鹿児島県では現在も丸刈り強制の校則が存在する中学校がある(奄美大島、徳之島など)。

その他
戸塚ヨットスクール(愛知県美浜町)における体罰が社会的に取りざたされたこともある。
中学の管理教育に反発して制服等を着用しなかった愛知県豊橋市の私塾経営者の息子兄弟が、教諭によって行動問題児とされたため、内申書評価のある高校進学を断念して、大学入学資格検定に挑戦。16歳で合格し、1982年に長男が東大理科III類、1983年に次男が京大経済学部、1987年に長女が京大文学部に合格したことが話題になった。ドラマ『中卒・東大一直線 もう高校はいらない!』の原案。
この様な管理教育が徹底された県からは、芸術分野で優れた業績を残す者が極めて過少である問題も、依然として横たわっている。特に愛知県が深刻であり、複数の音楽大学を持つにも関らずここ数年は世界進出を試みた県民はいても、果たした音楽家はいない。

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posted by 塾長 at 03:57 | 日記
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